【美祢線】美祢駅 鉄道駅として廃駅
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1916年、吉則停留場としてささやかに開業した美祢駅は、まさに地域の歴史そのものを映す鏡のような存在です 。当初は石炭や石灰石を運ぶための産業路線の一部でしたが、1963年に美祢市の名を冠した「美祢駅」となってからは、名実ともに市の玄関口としての役割を担いました 。 美祢駅が果たした最大の貢献は、日本の高度経済成長を支えた石灰石輸送の拠点となったことです 。駅の東に広がる鉱山から産出される石灰石を、宇部・小野田の工業地帯へ送り出すため、D51形蒸気機関車などが牽引する貨物列車が昼夜を問わず行き交いました 。その輸送量は路線が「幹線」として扱われるほど莫大で、美祢駅は日本の近代化を根底から支える心臓部でした 。
同時に、駅は常に地域の人々の暮らしと共にありました。通勤・通学の足として日々の生活を支え、駅前の商店街は賑わいを見せました 。また、日本屈指の観光地である秋吉台への玄関口として多くの観光客を迎え入れ、地域の魅力を全国に発信する窓口でもありました 。
しかし、輸送の主役がトラックに移り1998年に石灰石輸送が終了すると、駅の活気は徐々に失われ、2021年には無人駅となります 。そして2023年、記録的な豪雨災害が路線に壊滅的な打撃を与え、鉄道としての復旧は断念されました 。100年以上にわたる鉄道の歴史は幕を閉じ、未来はBRT(バス高速輸送システム)に託されることになりました 。
一世紀以上にわたり、地域の暮らしと日本の産業を支え続けた鉄道の運行に尽力された関係者の皆様へ、心からの敬意を表します。車窓から眺めた四季折々の風景。美祢駅と美祢線にまつわる皆様一人ひとりの思い出が、これからも大切に語り継がれていくことが願われます。
(2025年9月執筆)
PHOTO:写真AC