【日田彦山線】 部分廃線(添田駅~夜明駅間)
- 乗り物
筑豊の石炭と人々の夢を運んだ鉄路の黎明
明治28年(1895)、渋沢見興氏らにより筑豊の石炭を運び地域を豊かにする計画が持ち上がり、後の日田彦山線へと繋がる歴史の号砲が鳴らされました。明治30年(1897)に着工した長さ1444メートルの金辺隧道は、深刻な資金難を乗り越え、大正4年(1915)にようやく貫通の光を迎えました。将来の複線化を夢見た石積みの第二金辺川橋梁や、赤煉瓦が美しい「けやきさか拱渠」など、当時の職人たちの精緻な手仕事が今も沿線を彩っています。大正5年(1916)頃には収入の約8割を石炭輸送が占め、重い貨車が鉄路を軋ませる轟音は、まさに地域の繁栄を象徴する日常の風景でした。昭和35年(1960)に全線が開通し、日田彦山線の名が誕生したのです。
里山の風景に溶け込んだ駅舎と温かな記憶
昭和17年(1942)に誕生した彦山駅の威風堂々たる木造駅舎は、英彦山を訪れる参拝客を山の澄んだ空気で迎え入れる霊峰の入り口でした。昭和21年(1946)開業の大行司駅も村の温かな玄関口として親しまれ、筑前岩屋駅周辺では住民の手でサクラやツツジが大切に植えられました。春になると色鮮やかに染まる山肌と湧水のせせらぎが、人々の営みと鉄路が共生する優しい里山の情景を形作っていたのです。
豪雨の爪痕からBRT「ひこぼしライン」への転換
平成29年(2017)7月5日の九州北部豪雨は、63箇所もの線路を破壊する甚大な被害をもたらしました。巨額の復旧費を前に鉄路の再開は断念され、令和5年(2023)8月28日にBRT「ひこぼしライン」として新たな歩みを始めました。令和6年(2024)12月26日には鉄道事業の廃止が届け出られ、令和9年(2027)3月31日をもって、一世紀以上に及ぶ鉄路の歴史は正式にその幕を閉じることになります。
歴史を礎に未来を照らす地域の新たな光
かつて鉄の車輪が力強く響いた釈迦岳トンネルは、今やバスが静かに行き交うアスファルトの道へと姿を変えました。形は変われど、この地に刻まれた先人たちの誇りと人々の記憶が消えることはありません。地域の夢を運び続けた鉄路に深い敬意を捧げるとともに、新しく生まれた「ひこぼし」の光が、これからも沿線の暮らしを末永く照らし続けることを願って止みません。
(2026年3月執筆)

この駅に電車がやってくることはありません。

長きに渡りありがとうございました。
PHOTO:PIXTA







