苅田発電所新1号機 廃止
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復興を支えた日本一の発電センターと新1号機の誕生
昭和31年(1956)3月31日、戦後復興の灯りとなる苅田発電所1号機が産声を上げました。昭和38年(1963)には新苅田発電所も稼働し、一時は日本一の発電能力を誇る工業都市の象徴となりました。その後、昭和63年(1988)に旧1号機は姿を消しましたが、その本館建屋や煙突といった歴史の遺産を受け継ぎ、平成13年(2001)7月に「新1号機」が営業運転を開始したのです。当時世界最大の加圧流動床複合発電(PFBC)方式を採用したこのプラントは、最先端の技術を誇るだけでなく、工場のボイラーを海上輸送するなど、ダイナミックな工法でも注目を集めました。九州の産業を根底から支え続けた、まさに地域の誇りと言える存在です。
職人の「匠の技」と誇りが紡いだ世界記録
この巨大なプラントの裏には、技術者たちの情熱と人間味溢れるエピソードが隠されています。かつてアメリカの技術者の間で「誇り高き4K」としてその名を知られていた職人気質は新1号機にも受け継がれ、ベテラン運転員は燃料スラリーを手でつかみ、その触感で使用に適しているかを見極めたといいます。こうした驚くべき「匠の技」に支えられ、平成30年(2018)3月には連続運転4580時間という世界記録を打ち立てました。
時代の変遷と電力の危機を救った功労者の終幕
しかし、再生可能エネルギーの台頭という時代の潮流に押され、令和3年(2021)4月に新1号機は計画停止に入ります。それでも夏や冬の電力不足の際には不眠不休で再稼働し、人々の暮らしを陰で守り続けました。そして令和6年(2024)9月27日、九州電力は令和8年(2026)6月をもってその歴史に幕を下ろすことを正式に発表したのです。激動の時代を走り抜けた名機が、いよいよ役目を終えようとしています。
郷土の発展に捧げた情熱を未来へ繋ぐ
半世紀以上にわたり、冷たい潮風に吹かれながらも街の明かりを灯し続けた苅田発電所の歴史に、心からの敬意と感謝の念を禁じ得ません。丸太を転がした建設初期の苦労から、世界を驚かせた新1号機の技術まで、ここで培われた開拓者精神は地元の財産です。その雄姿が消え去っても、職人たちが紡いだ情熱と記憶が、これからの未来を担う人々の心に末永く生き続けることが強く願われます。
(2026年6月執筆)
PHOTO:PIXTA







