長良川発電所
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明治の情熱が灯した長良川発電所の誕生
長良川の清流を利用した発電計画は、明治27年(1894)頃、旧岩村藩士の実業家・小林重正が琵琶湖疏水の発電所に感銘を受けたことから始まりました。自費で調査を進めた小林は、武儀郡洲原村(現在の美濃市立花)を最適地と定め、明治29年(1896)に出力3000キロワットの巨大な発電所建設を提唱します。しかし、日清戦争後の不況という荒波に飲まれ、一度は事業許可が取り消されるという苦難を味わいました。この志を継いだのが、後に建築界や産業界で名を馳せる野口遵や名古屋電灯です。明治41年(1908)6月に着工した工事では、岐阜駅から牛車で一週間かけて発電機を運び、筏で川を渡るという壮絶な搬入劇が繰り広げられました。
名古屋の夜を彩った光と流域の葛藤
明治43年(1910)3月14日に運転を開始した長良川発電所は、当時日本屈指の4200キロワットという出力を誇りました。この電力は名古屋へ送られ、鶴舞公園で開催された共進会の会場で2万5800個もの電球を輝かせ、市民を驚喜させたといいます。街角では、長良の水が名古屋の夜を照らす粋な源であることを称える俗謡まで流行しました。その一方で、発電のための取水により川の水量が減り、木材の「川流し」を営む住民らによる激しい反対運動も起こりました。近代化の光り輝く恩恵の裏側には、伝統的な川の暮らしを守ろうとした人々との切実な対立と、共生のための模索というドラマが刻まれています。
赤レンガの美と時代を超えた設備更新
山間にそびえる本館は、イギリス積みの赤レンガが美しいモダンな建築で、明治の面影を今に伝えています。導水路に架かる湯ノ洞谷水路橋や日谷水路橋は、レンガのアーチが周囲の自然と調和し、土木技術の粋を集めた芸術品のようです。長らくドイツ製の水車と発電機が稼働してきましたが、昭和56年(1981)に老朽化のため設備を一新し、出力は4800キロワットへと増強されました。平成14年(2002)には、建物が川側へ最大29ミリ傾いていることが判明しましたが、貴重な外観を損なわないよう壁内部を補強する高度な技術で修復が行われ、その歴史的価値が守り抜かれています。
産業遺産としての誇りと未来への記憶
役目を終えたドイツ・シーメンス社およびフォイト社製の旧型機は、産業考古学会の働きかけにより廃棄を免れ、現在は構内で静かに余生を過ごしています。この保存は製造元のドイツ両社からも高く評価され、感謝の記念プレートが贈られるという心温まる国際交流も生まれました。平成12年(2000)以降、本館や水路橋は国の登録有形文化財となり、敷地内には先駆者・小林重正の功績を称える碑が立っています。130年以上の時を超え、今なお現役で電気を送り続けるこの赤レンガの殿堂は、先人たちの不屈の精神と技術への敬意を、訪れる者の心に深く刻み続けていくことでしょう。
(2026年2月執筆)

100年以上に渡り当地で稼働を続けてくれている施設です。
PHOTO:PIXTA







