羽根谷砂防堰堤
- 建物・施設
岐阜県海津市、養老山地の東麓に広がる羽根谷(はねだに)は、急峻な地形から土石流が頻発し、古くから地域の人々を苦しめる難所でした。江戸時代を通じて、地域住民や藩による砂留めや植林などの治山・砂防の試みが繰り返されましたが、抜本的な解決には至らず、土砂災害との闘いは長く続きました。
転機が訪れたのは明治時代です。内務省が木曽三川(木曽・長良・揖斐)の分流工事を計画する中で、お雇い外国人であるオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケは、下流の河川整備には上流山地での土砂流出を防ぐことが不可欠であると説きました。彼の実地指導に基づき、1878年(明治11年)より本格的な巨石堰堤の建設が着手されます。約13年にわたる難工事の末、1891年に完成したのが「羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)」です。これは、セメントを用いずに巨石を巧みに積み上げた「空石積(からいしづみ)」という工法で築かれており、堤長約52メートル、高さ約12メートルという当時としては最大級の規模を誇りました。この堰堤は、近代砂防技術の粋を集めたものであり、100年以上が経過した現在もなお、土砂災害から地域を守り続ける現役の施設です。
1997年には、その歴史的・技術的価値が高く評価され、国の登録有形文化財に登録されました。現在は周辺が「羽根谷だんだん公園」として整備され、桜の名所としても親しまれています。明治の先人たちが築き上げた遺産を、今日まで適切に維持管理し、地域の安全を守り続けてこられた関係者の皆様に、深く敬意を表します。治水の歴史と先人の高度な石積み技術を肌で感じることができるこの場所へ、歴史ファンの皆様もぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
(2025年12月執筆)
PHOTO:写真AC







