蹴上発電所
- 建物・施設
都の復興を託された日本初の事業用水力発電
明治維新の事実上の東京遷都により、京都は人口が約3分の1に減少し、存亡の危機に立たされました。この窮地を救うべく、明治14年(1881)に第3代京都府知事の北垣国道が、水力を生かした工場建設などを目指して計画したのが「琵琶湖疏水」の建設です。工事を任されたのは、工部大学校を卒業したばかりの若き青年技師・田邉朔郎(当時21歳)でした。明治21年(1888)に田邉朔郎と高木文平がアメリカのアスペン銀山を視察したことを経て、当初の水車動力計画から水力発電への劇的な方針転換が決断されます。そして明治24年(1891)5月、日本初の一般供給用(事業用)水力発電所として「第1期蹴上発電所」が産声を上げました。かつての活気を失った盆地に、近代化の象徴となる機械音が鳴り響き、京都の街は再び力強く動き出したのです。
京都の夜を照らし産業と暮らしを支えた光
発電された電気は、明治24年(1891)にインクラインを動かし、明治28年(1895)1月には京都電気鉄道株式会社による日本初の路面電車を走らせる原動力となりました。明治45年(1912)4月からは、蹴上浄水場から日本初の急速ろ過方式による安全な水道水をもたらし、市民の暮らしを劇的に向上させています。また、疏水の水は無鄰菴などの名庭に心地よいせせらぎを生み、今も多くの人々の心を癒やしています。この電気と水の恵みは、伝統を重んじる京都の街に革新の火を灯し、人々の生活に安心と潤いを与え続けてきました。
時代の荒波を越えた国産技術と赤レンガの威容
明治45年(1912)5月、美しいアーチ窓を持つ赤レンガ造りの「第2期発電所」が完成しました。さらに昭和11年(1936)1月には、国産技術の結晶である日立製作所製の縦軸フランシス水車などを備えた「第3期発電所」が竣工し、京都の産業を力強く牽引しました。昭和17年(1942)に運営が関西配電(現在の関西電力)へ移管された後も、施設は時代の要請に応え続けました。かつての威容を誇る第2期の建物は、戦後の一時期には京都大学に移管されて内部が使用されるなど姿を変えつつ、現在は南禅寺周辺のノスタルジックな風景の一部として静かに佇んでいます。
百余年の誇りを繋ぐIEEEマイルストーンの輝き
平成28年(2016)9月、世界的な技術の殿堂であるIEEEマイルストーンに認定された本発電所は、現在も遠隔操作によって現役で稼働しています。春には隣接する蹴上浄水場周辺に約4,900本のツツジが彩りを添え、復興に情熱を傾けた先人たちの志を今に伝えています。水の恵みを電気へと変え、都市の命脈を繋いできたその歩みには、深い敬意を表さずにはいられません。先人たちが灯した希望の光は、形を変えながらも、これからも京都の街を温かく守り続けていくことでしょう。
(2026年4月執筆)

当地ならではの光景です。

京都市左京区にも歴史ロマンあふれる史跡が存在します。
PHOTO:PIXTA







