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宝珠山橋梁

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鉄なき時代の知恵が結実した無筋の美

福岡県東峰村の緑深い山里に架かる宝珠山橋梁は、地元で「奈良尾のめがね橋」と呼ばれ、親しまれてきました。その歴史は昭和13年(1938)に遡ります。当時は第二次世界大戦の影が忍び寄り、資材の鉄が極度に不足していた時代でした。そのため、鉄筋を一切使わない「無筋コンクリート充腹アーチ橋」という極めて珍しい工法が採用されたのです。全長79.2メートル、高さ20メートルを誇るこの橋は、5つの美しいアーチが連なる壮大な姿で完成しました。アーチの内部に土砂を詰め、列車の激しい振動を抑える構造は先人の知恵の結晶であり、かつては「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭を運ぶ貨車が、この生命線を力強く行き交っていました。


地域と歩む幻想的な祈りの灯火

この巨大な橋梁は県道沿いから見上げることができ、周囲の田園風景や四季折々の山々と見事な調和を見せています。近隣の栗木野橋梁や第二大行司橋梁と共に美しいアーチを描いており、このうち宝珠山橋梁は経済産業省の近代化産業遺産にも認定されました。冬の訪れとともに、12月上旬から正月にかけて行われるライトアップは、地域の恒例行事です。静寂に包まれた冬の夜空に、柔らかな光で照らし出されたアーチが幻想的に浮かび上がる光景は、訪れる人々の心を温め、地域の象徴として大切に守り続けられています。


豪雨の試練を乗り越えBRTとして再生

長年、ディーゼル車両が力強く駆け抜けてきたこの橋ですが、平成29年(2017)7月の九州北部豪雨により甚大な被害を受けました。鉄路の復旧は困難を極めましたが、関係者の協議の末、バス高速輸送システム(BRT)へと形を変えて再出発することが決定しました。そして令和5年(2023)8月28日、新たに「BRTひこぼしライン」が誕生。かつての線路跡はバス専用道へと生まれ変わり、現在は最新の水素燃料電池バスなどが、歴史あるコンクリートの橋の上を静かに走り抜けています。


先人の情念を未来へ繋ぐ架け橋

大正末期の不況や険しい地形、さらには橋の完成後に起きた戦禍による工事中断など、日田彦山線が全線開通するまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。悲願の全線開通を夢見て尽力した先人たちの熱い思いは、鉄道からバスへと役割を変えた今も、この頑強なアーチの中に脈々と息づいています。時代の荒波に揉まれながらも、その優美な姿を失うことなく次世代へとバトンを繋いだこの橋は、これからも東峰村の風景の一部として、私たちに歴史の重みと未来への希望を語り続けてくれることでしょう。

(2026年4月執筆)

周辺の景色と調和した美しい橋梁です。

 

福岡県朝倉郡東峰村の地にも歴史ロマンあふれる近代化産業遺産が存在します。

PHOTO:PIXTA

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