藪塚石切場跡
- 建物・施設
太古の噴火から始まった石材産業の興隆
約2000万年前の新第三紀中新世、激しい火山活動によって降り注いだ火山灰が堆積したことで生まれたのが藪塚石の起源です。加工しやすいこの石は、縄文時代中期末の敷石住居から、古墳時代の横穴式石室、鎌倉時代の宝篋印塔に至るまで、古くから地域の信仰や暮らしを支えてきました。明治36年(1903)には地元の名士により石材会社が設立され、耐火性を生かしたカマドや東京都電の敷石など、近代化を支える資材として重宝されました。大正時代(1912〜1926)の全盛期には、遠く伊豆や大谷からも腕利きの職人が集まり、静かな山間に約350人もの石工たちがノミを打つ音が響き渡るなど、産業の拠点として活気に満ち溢れていました。
岩壁に刻まれた職人たちの息遣いと喧騒
採石場には、かつて命綱1本で垂直の岩壁に挑んだ男たちの記憶が刻まれています。岩肌には「藤生石材」といった当時の屋号が赤く残り、足場を組んだ丸太の跡が過酷な労働を物語っています。仕事終わりには芸者遊びの喧騒が夜の町に響き、地元の娘と所帯を持つ若者も現れるなど、独自の活気に溢れていました。新田義貞の伝説を秘めた温泉とともに、この地は人々の絆を育む大切な交流の場でもあったのです。
時代の荒波と静寂に包まれる閉山の歩み
大正12年(1923)の関東大震災以降、耐久性の面から大谷石に主役を奪われ、昭和30年(1955)頃に閉山を迎えました。近年はその神秘的な景観が評価され、平成20年(2008)公開の映画ロケ地としても注目されましたが、崩落の危険から平成29年(2017)頃より立入が厳しく制限されています。令和4年(2022)11月には老舗旅館も休館し、かつての賑わいは静かな寂寥感へと姿を変えています。
聖域として眠る記憶と未来への祈り
そびえ立つ石柱が光と影のコントラストを描く光景は、まるで忘れ去られた古代神殿のようです。かつて関東の近代化を底辺で支えた職人たちの無骨な道具は、現在も歴史民俗資料館に大切に保管されています。自然の緑に飲み込まれながらも、この巨大な空間が湛える開拓の熱量は消えることはありません。先人たちが築き上げた誇り高い産業の記憶が、これからも後世へと語り継がれていくことが心より願われます。
(2026年5月執筆)
PHOTO:PIXTA







