記事丸沼堰堤のイメージ画像

丸沼堰堤

  • 建物・施設

大自然の中に誕生した白亜の巨大堰堤

大正10年(1921)9月、発電利用のために水位が低下したことで、もともと隣の大尻沼と一体であった湖水が二つに分かたれました。その後、丸沼ダムが建設されたことによって再び水位は上昇し、北へとその面積を広げたのです。昭和3年(1928)から本格的な建設が進められた丸沼堰堤は、資材が非常に高価だった時代背景から、コンクリートを節約できる画期的な「バットレス式」が採用されました。土木界の重鎮である物部長穂氏らの設計のもと、昭和5年(1930)に竣工し、昭和12年(1937)には一ノ瀬発電所からの送電が開始され、人々の暮らしに明かりを灯したのです。戦時中の過酷な運用や、平成元年(1989)からの苦いデータ改ざんの歴史を乗り越え、国内最大級の堤高32.12メートルを誇るその美しい姿は、近代土木技術の栄光を今に伝えています。


人々の苦闘と豊かな自然が紡ぐ記憶

昭和25年(1950)に新日本観光地百選の1位に輝いた丸沼ですが、標高1430メートルの高地に位置し、冬は零下20度以下になり約3メートルの積雪があるという厳しい環境です。建設現場では重機に頼りきれない時代であり、労働者たちが竹や木材で組まれた足場の上で過酷な作業に従事しました。また大正15年(1926)からは先進的な養鱒の舞台となり、湖畔の一軒宿である環湖荘は多くの旅人を癒やしてきました。厳しい自然と人々の営みが、この地に温かい物語を育んでいます。


宿命の劣化に抗い未来へ繋ぐ重要文化財

昭和12年(1937)を最後に国内で新設されなくなったバットレスダムですが、丸沼ダムは平成13年(2001)に土木遺産に認定され、平成15年(2003)12月25日には近代鉄筋コンクリート造河川構造物の一つの技術的到達点を示すものとして、発電用のダムとしては全国で初めて国指定重要文化財となりました。竣工直後からの課題であるコンクリート表面の凍結劣化という宿命に対し、外観を保ちながら修繕を重ねてきた技術者の執念が光ります。現在は東京電力のもと、10,700キロワットの電力を生み出し続けています。


時を超えて輝き続ける先人たちの足跡

ワッフルのような幾何学模様を見せる丸沼堰堤は、近代日本の発展を支えた先人たちの知恵と情熱の結晶です。水位変動による環境の変化を見つめながら、静寂のなかに立ち続ける姿には深い敬意を抱かざるを得ません。例年12月下旬から4月下旬までの長い冬期通行止めを経て、春の光を浴びるこの貴重な産業遺産が、これからも多くの人の記憶に残り、未来へ語り継がれていくことが願われます。

(2026年5月執筆)

希少なバットレスダムです。

一度現地に足を運んでみてはいかがでしょうか?

PHOTO:PIXTA

物部長穂。土木工学の父と呼ばれる日本土木史に輝く偉人です。

物部長穂

永久保存版としてお手元に確保されてはいかがでしょうか?

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