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旧毛馬水門

  • 建物・施設

水都大阪を守り育てた近代淀川改修の足跡

明治18年(1885年)6月の大洪水を機に、大阪の治水と舟運維持のために計画されたのが旧毛馬水門(毛馬第一閘門)です。明治30年(1897年)からの淀川改良工事の一環として、沖野忠雄らの主導により明治35年(1902年)12月に着工されました。日露戦争中も工事は続けられ、明治40年(1907年)8月に完成を迎えます。花崗岩とイギリス積の赤レンガが調和した美しい姿を持ち、上部に梁のない独特の構造は多くの舟の往来を可能にしました。大正7年(1918年)に第二閘門が完成して以降は、水上交通の要衝としてだけでなく、洪水から街を守る盾としても機能し、水都の発展を支える全盛期を築きました。


水面を埋め尽くす舟運の活気と憩いのひと時

舟運の黄金期を迎えた昭和5年(1930年)には、年間約11万隻もの舟が行き交い、水面が見えなくなるほどの活況を呈していました。砂船の船頭たちの威勢の良い掛け声が響き渡る一方、水位調整を待つ約30分間は、狭い閘室内で船員たちが思い思いの時間を過ごす長閑な光景も見られました。川に生きる男たちの激しいせめぎ合いと、束の間の休息が同居する情緒豊かな空間だったと伝えられています。


時代の変遷と重要文化財へのリニューアル

陸上交通の発展に伴い舟運は衰退し、昭和36年(1961年)頃には通船数が年間2万隻台にまで減少しました。さらに昭和51年(1976年)、新たな閘門へ機能を引き継いだことによって、約70年にわたるその役目を静かに終えることとなります。しばらくは寂しい姿を晒していましたが、平成20年(2008年)6月に国の重要文化財に指定され、現在では緑豊かな河川公園の中で歴史を伝える記念碑となっています。


先人の知恵を未来へ繋ぐ水都のモニュメント

戦時下の困難を乗り越え、この壮大なインフラを築き上げた当時の技術者や職人たちの熱意には、深い敬意を表せざるを得ません。美しい赤レンガの遺構は、水都大阪の礎を築いた人々の知恵と労苦を現代に伝えています。激動の時代を静かに物語るこの貴重な歴史的財産が、これからも地域の誇りとして大切に保存され、未来の世代へと末永くその記憶が受け継がれていくことが願われます。

(2026年6月執筆)

在りし日の営みを今に伝える貴重な場所と言えそうです。

PHOTO:PIXTA

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