伊良湖試験場
- 建物・施設
渥美半島に築かれた国家の実験場 ― 伊良湖試験場、開設の記録
日露戦争前夜の1901年(明治34年)11月30日、愛知県渥美郡渥美町大字中山字西山(現・田原市)に、後に「陸軍第1技術研究所伊良湖試験場」と呼ばれることになる大砲試験場が開設されました。約285万坪におよぶ広大な敷地は、大阪砲兵工廠で試作された新型の大砲や砲弾、信管の射撃データを測定するとともに、実戦で鹵獲した外国製火砲の性能を検証する場として整備され、事務所、砲台、砲廠、火薬庫、試作工場、宿舎群が建ち並びました。1905年(明治38年)の日露戦争や1918年(大正7年)の第一次世界大戦の終結を画期として兵器開発が盛んになると、これに呼応して施設の拡充が図られていきました。1906年(明治39年)には、着弾地点の危険区域にあった伊良湖集落の住民が先祖伝来の土地を離れ、全村移転を余儀なくされました。集落の信仰を集めていた伊良湖神社も、宮山東側への遷座を余儀なくされています。
砂堆を貫く射線と、離島の観測所
砲口は西山地区から現在の伊良湖港へと向けられ、この経路は「射線」と呼ばれる立入禁止区域となりました。射線一帯は海風と波が長年かけて砂を堆積させた「砂堆」の原野で、視界を遮るもののない試験環境が広がっていました。射線の脇には資材や作業員を運ぶトロッコの軌道が先端まで延び、約1キロメートル間隔でコンクリート製の観測小屋「監的」が配置されました。射程が1万メートルを超える大砲の登場にともない、山上や海岸線に遠距離観測所が設けられ、対岸の三重県鳥羽市・神島にも離島観測所が置かれています。この神島の観測所跡は、三島由紀夫の小説『潮騒』の重要な舞台のモデルとしても知られています。
児童公園と集落の外れに残る遺構
現在の田原市小中山町、田戸神社の入り口脇には、当時の正門を構成した門柱のうち北側の一柱が残り、「陸軍技術本部伊良湖試験場跡」の文字が刻まれています。近隣の児童公園には、油類を保管した「脂油庫」、「陸軍省所轄地」と刻まれた境界石柱、警戒哨舎が移設・保存されています。集落の外れには、避害所や検圧所などの施設も現存しています。戦後の1945年の敗戦後、試験場の中央用地は民間に払い下げられ、跡地には新しい集落が形成されました。
戦争遺跡調査が伝える、渥美半島の記憶
愛知県は1996年から2004年の悉皆調査から約20年を経た2023年度から2025年度にかけて再調査を実施し、県内で把握された戦争遺跡388件のうち280件の現存を確認、うち20件を主要戦争遺跡として選定しました。2026年3月27日に公表された「愛知県戦争遺跡調査報告書」の表紙には、伊良湖試験場の気象塔兼展望塔と無線電信所が並ぶ写真が掲載されています。渥美半島の先端に残るこれらの遺構は、かつての国家的な兵器試験の歴史を今に伝えています。
(2026年8月執筆)

平和の尊さを伝えてくれる貴重な史跡です。
PHOTO:写真AC







