大阪砲兵工廠
- 建物・施設
大阪砲兵工廠は、明治時代から太平洋戦争終結まで、日本の軍事産業の中心的役割を果たした施設です。1870年に大阪城内に「造兵司」として創設され、その後名称変更を経て「大阪砲兵工廠」として知られるようになりました。
この施設は、主に火砲、戦車、弾薬類の開発・製造を担当し、アジア最大規模の軍事工場として機能しました。しかし、その技術力は兵器製造にとどまらず、靖国神社の青銅製鳥居や大阪城天守閣の水道管など、民間向けの製品も手がけました。
1945年8月14日、B-29による大規模空襲を受け、工廠の80%以上が破壊され、多数の犠牲者を出して当工場は機能を停止しました。現在は化学分析場や石造アーチ荷揚門などの遺構が残り、日本の軍事産業の歴史を物語る貴重な産業史跡となっています。
ご興味をお持ちの方は、是非一度現地に足を運んでみてはいかがでしょうか。在りし日の貴重な歴史を肌で感じ取る貴重な機会となることでしょう。
(2024年7月執筆)
石造アーチ荷揚門です。
綺麗な煉瓦をまとった旧化学分析場の建物が歴史を今に伝承します。
PHOTO:写真AC