信濃町立古海小学校 閉校
- 文化・教育施設
国境の山間に灯り続けた学びの歴史
明治6年(1873)に「仮称野尻学校」の古海支校として開校した学び舎は、長野県と新潟県の県境に位置する山間で、地域の教育拠点として歩み始めました。大正12年(1923)に「古海尋常高等小学校」、昭和16年(1941)には「古海国民学校」へと改称され、激動の時代の中で学びの灯を守り続けました。昭和31年(1956)9月30日の信濃町誕生に伴い「信濃町立古海小学校」となり、昭和48年(1973)には重厚な鉄筋コンクリート造の2階建て校舎が落成します。春を告げる「ヒメギフチョウ」をあしらった校章のもと、全校児童で里山に赴く環境教育や独自の校歌は、子どもたちの豊かな郷土愛を育み、全盛期には活気溢れる声が響いていました。
厳しい冬を温める伝統と国際的な記憶
この地域では、厳しい冬を乗り越えるための強い絆が育まれてきました。毎年1月15日の「どんど焼き」で夜空に舞う書き初めを祈るように見つめる子どもたちの姿や、炭焼き小屋で食べられていた郷土食「ヤマモチ」の味は、集落の温かい記憶です。さらに平成9年(1997)には、長野冬季オリンピックを前にベラルーシ共和国の大統領が突如として来校し、小さな山里が国際的な熱気に包まれるという、色褪せない歴史的一幕もありました。
時代の波による閉校と校舎が迎えた現状
しかし時代の変化とともに過疎化が進み、平成18年(2006)には児童数が29名にまで減少します。そして平成24年(2012)4月、地域の期待と寂しさが交錯する中で周辺校と統合され、140年近く続いた歴史に幕を下ろしました。現在は小中一貫校へ引き継がれ、敷地にある体育館がスポーツ拠点として再利用されていますが、旧校舎は令和元年(2019)の調査で老朽化を指摘されています。
記憶を宿す地から未来へ紡ぐ新たな絆
かつての学び舎が歩みを止めた一方で、現在の古海地区には美しい自然に魅了された移住者が増え、多国籍な文化が入り混じる新しい風が吹き始めています。新住民を温かく支える地域の人々の絆は、学校が育んできた不変の精神そのものです。長年にわたり子どもたちを育み、地域の中心であり続けた古海小学校の功績に深い敬意を表するとともに、この地に息づく温和なコミュニティが未来へと紡がれることが願われます。
(2025年6月執筆)

確かにここに学び舎が存在した。その証です。

卒業生・先生・地域住民など関係者様の心の中に、美しい思い出が永遠に記憶されますように。
PHOTO: 廃校5000 様







