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柴島駅 改修

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鉄道網の広がりとともに生まれた駅

1921年(大正10年)、現在の阪急電鉄のルーツの一つである北大阪電気鉄道が淡路駅を開業させたことが、柴島周辺の鉄道網の基礎となりました。1925年(大正14年)10月15日、新京阪鉄道が天神橋駅から淡路駅へ路線を延伸したことに伴い柴島駅が誕生します。その後、京阪電気鉄道、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)と所属を変え、1944年(昭和19年)に隣接する長柄駅が廃止されると、柴島駅は淡路駅と天神橋駅(現・天神橋筋六丁目駅)との間をつなぐ唯一の途中駅として歴史に刻まれました。所属路線は開業当初の「新京阪線」から「京都本線」、「千里山線」を経て「千里線」へと改称され、高度経済成長期のベッドタウン拡大とともに駅の役割も変化していきました。2013年(平成25年)には「HK-87」という駅ナンバリングが導入され、今の姿へと引き継がれています。


浄水場のそばに佇む、静かな駅

「柴島(くにじま)」という地名は全国屈指の難読地名として知られ、駅名を見上げて首を傾げる人の姿は地域ならではの日常風景です。駅のすぐ東側には広大な柴島浄水場が広がり、駅前には賑やかな商店街もなく、純粋な住宅地としての静けさが保たれています。付近には淀川キリスト教病院や、細川氏・稲葉氏の居城とされる摂津柴島城址、柴島神社などの寺社仏閣が点在し、柴島高等学校や柴島中学校といった教育機関も集まっています。駅は相対式ホーム2面2線の地上駅で、支線の中間駅としては唯一堺筋準急などの通過列車が設定されており、北隣の淡路駅では普通列車同士が対面接続するダイヤが組まれています。


踏切をなくす、長年の悲願

1994年(平成6年)、柴島駅を含む区間を高架化する都市計画が決定し、1997年(平成9年)から用地買収が始まりました。2008年(平成20年)9月に工事が本格着手され、京都線と千里線あわせて4つの駅を空中に持ち上げる大規模な事業が進められています。最大の目的は、地域を分断してきた17箇所の踏切の除却で、そのうち4箇所は「開かずの踏切」でした。2018年(平成30年)の大阪府北部地震では踏切の遮断が緊急車両の通行を阻害し、防災の観点からも高架化の必要性が改めて認識されました。工事の遅延により2025年(令和7年)に事業完了は4年間延期され、2028年(令和10年)度末の高架切り替え、2031年(令和13年)度末の全事業完了が見込まれています。


変わりゆく街と、変わらない日常

現在進められている高架化工事では、既存の営業線路のすぐ横に新たな高架橋を築く「別線施工」が採用され、新しい駅舎は1階に改札、2階にホームを備える構造になる予定です。2023年(令和5年)には自動改札機のみの西口改札も新設されました。2025年(令和7年)の1日平均乗降人員は4,671人と、阪急電鉄86駅中85位というローカルな数字ですが、半世紀以上にわたり大きな開発の波に呑まれることなく、地域に根ざした穏やかな生活のリズムが守られてきました。柴島駅は、変わりゆく街の姿を見つめながら、今日も地域住民の「いつもの駅」として朝夕の列車を迎え入れています。

(2026年7月執筆)

当たり前であった景色に残された時間はわずかです。

 

愛着のある光景が永遠に関係者様の心の中に記憶されますように。

PHOTO:写真AC

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