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名鉄広見線 部分廃線か

  • 乗り物

地域産業を支えた鉄路の始まりと歩み

明治45年・大正元年(1912)7月に地元の有志によって敷設が申請された名鉄広見線は、大正4年(1915)3月の東濃鉄道設立を経て、大正7年(1918)12月に軽便鉄道として開業しました。旅客のみならず亜炭や木材といった地域産業の物資輸送を担い、昭和3年(1928)10月には電化を達成。昭和4年(1929)1月に名古屋鉄道の路線と結ばれたことで、現在の新可児駅に見られる特徴的なスイッチバック構造が誕生しました。昭和18年(1943)3月の名鉄との合併や、昭和27年(1952)4月の御嵩駅までの延伸により全線が完成し、丸山ダム建設資材の輸送などで地域は大いに活気づきました。


人々の暮らしに寄り添う愛おしい記憶

かつて煙を上げて走った小さな蒸気機関車や、昭和59年(1984)9月に登場したレールバスはのどかな風景の象徴でした。平成21年(2009)5月に運行された7000系パノラマカーの鮮やかな赤い姿は、今も住民の胸に刻まれています。地元の高校生への調査でも正確に通学できる足として信頼されており、電車の規則正しいリズムは、いつの時代も若者たちの青春の記憶として深く息づいています。


時代の潮流に伴う変化と現状の課題

平成13年(2001)9月の八百津線廃止や、平成17年(2005)1月の学校前駅の廃止を経て、平成20年(2008)6月からはワンマン運転が開始されました。駅の無人化も進む中、新可児から御嵩間の利用者数は令和元年度(2019)の90.7万人から、令和5年度(2023)には78.4万人にまで減少しています。車内の喧騒が落ち着きを見せる中、時代の波による変化が色濃く現れています。


歴史の最終章へ

令和8年(2026)5月、沿線の可児市・御嵩町・八百津町の3市町が鉄道存続の協議終了を発表したことで、名鉄広見線・新可児-御嵩駅間の廃線(バス転換)が現実味を帯びてきました。明治45年(1912)の敷設申請から百年余、亜炭や木材の輸送で地域産業を支え、丸山ダム建設資材の運搬でも活躍したこの路線は、今まさに存廃の岐路に立たされています。
現在も中山道の宿場町・御嵩を終点に、木曽川沿いの山里を縫うように1日数十本の電車が走っており、沿線住民の通学・通勤の足として機能しています。しかし、利用者数の減少傾向は続いており、存続に向けた具体的な打開策は見えていません。詳細は今後の協議に委ねられていますが、「ぜひ同線を利用して当地に足を運んでほしい」との声も上がっています。御嵩の古い町並みや明智・顔戸といった静かな沿線を訪れ、百年余の歴史をつないできた鉄路の歴史旅を計画してみてはいかがでしょうか。

(2026年5月執筆)
PHOTO:写真AC

 

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