メテオプラザ 廃館か
- 文化・教育施設
落雷だと思われた夜
1992年(平成4年)12月10日の夜9時ごろ、島根県八束郡美保関町惣津、現在の松江市美保関町惣津にある個人様宅に、隕石が落ちました。木造2階建ての屋根を直撃した石は、屋根板、2階の床、1階の床板まで突き破り、床下に達しています。激しい衝撃音が集落に響きましたが、住人も近隣の人も、近くに落雷があったものと思い込んでいました。家族にも周囲の人にも怪我はありませんでした。翌日の夕方、落雷の痕跡を探そうと松本氏が懐中電灯で床下を照らしたところ、黒っぽい石が見つかります。重量6380g、25.2cm×14.1cm×10.6cmの扁平な塊で、かんらん石や輝石を主とし球粒構造を持つL6コンドライトに分類される石質隕石でした。形成されたのは約46億年前、太陽系の誕生初期です。
世界で初めて見つかった核種
民家を隕石が貫いたという報道は、日本国内にとどまらず、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカへと伝わりました。組成そのものは特殊ではないにもかかわらず、海外の人々から研究者のもとへ手紙が届いたといいます。この報道は連鎖も生みました。1年前の1991年(平成3年)に愛知県豊橋港で自動車運搬船の甲板に落ちていた田原隕石が、船員の申し出によって発覚したのです。学術面での成果は、落下の翌日に回収されたという条件から生まれました。地球の物質に汚染されていない状態で国立科学博物館の関係者様が分析にあたり、半減期が短いために地球上では検出例のなかった放射性同位体スカンジウム44mが、自然界で世界初めて検出されました。命名は1980年の国際隕石学会の指針に従い、落下地点の最小行政区画名から「美保関隕石」とされ、1993年(平成5年)1月13日に正式に通報されています。所有権は、民法第239条の無主物先占により発見者様個人に帰属しました。
隕石の形をした建物
落下を契機に、七類港のフェリーターミナル建て替え構想が具体化します。旧美保関町が整備を進め、1995年(平成7年)12月に完成、翌年オープンしたのがメテオプラザです。総事業費は約30億円、うち4億円は島根県からの拠出でした。設計を手がけたのは建築家の高松伸氏で、海辺へ降り立った隕石のかたちをそのまま外形のモチーフにしています。館内のメテオミュージアムには隕石の実物と、貫通された邸宅の畳が並びました。ほかに500席のメテオホール、日本海の海水をくみ上げた温海水プール、浴場などを備え、フェリーターミナル部分は島根県、文化・レジャー施設部分は松江市が所有する形をとりました。
30年で役目を終える建物
日本海に直接面した立地は、塩害という代償を伴いました。雨漏りと経年劣化が進み、2018年(平成30年)に温海水プールが休止、2024年(令和6年)7月には屋根の腐食でメテオホールの利用も中止されます。そして2026年(令和8年)9月8日、松江市議会の本会議で市長は、建物の特殊な構造から大規模改修による継続使用は困難として、メテオプラザ本体を廃止する方針を明らかにしました。地元からの要望を受け、隕石の常設展示をどう続けるかは代替案の検討が進められています。翌9日には島根県知事が、本土と隠岐を結ぶ県内唯一の航路拠点として、フェリーターミナル機能の維持を検討する考えを示しました。46億年の歳月を経てきた石を収めた建物が、30年で役目を終えようとしています。展示の行く先が定まる前に、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。
(2026年9月執筆)

設計は高松伸氏。海辺へ降り立った隕石のかたちを外形のモチーフにしています。

左に見えるマストは、隠岐へ向かう航路の船です。
PHOTO:写真AC







