大王埼灯台
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断崖に刻まれた祈りと白亜の航路標識
三重県志摩半島の先端、遠州灘と熊野灘を分かつ海食台地の断崖絶壁に、大王埼灯台は峻烈な姿で立っています。海抜46メートルの高台から見渡す太平洋は圧巻ですが、かつてこの海域は安乗埼や鎧埼と並ぶ「志摩三埼」として恐れられた難所でした。船乗りたちが「波切大王なけりゃよい」と恨み節を唄うほど荒波が激しく、明治17年(1884)には既に灯台建設の悲願が持ち上がっていました。しかし、大正2年(1913)には51名の尊い命を奪う遭難事故、大正7年(1918)には重量3千トンを誇る海軍巡洋艦「音羽」の座礁事故が発生し、建設を望む声は村中から湧き上がりました。幾多の困難と関東大震災による遅延、さらには海軍施設との調整による建設地の変更を乗り越え、かつての九鬼水軍の拠点「波切城」跡に昭和2年(1927)10月5日、ついに待望の希望の光が灯されました。
巨人の伝承と海女たちが仰ぐ道しるべ
この地には、古くから人々の営みと海への畏怖が交錯する豊かな物語が息づいています。万葉の時代から続く素潜り漁を営む海女たちにとって、高さ23メートルの白亜の塔は、広大な海で自らの位置を確かめるための命の道しるべでした。一方で、海面に姿を現す大王岩には、船を幻惑し海底へ引きずり込む巨人「だんだら法師」の伝説が語り継がれ、荒波の音とともに船乗りたちを震え上がらせてきました。現在は「絵かきの町」として知られ、石段が続く情緒ある町並みと灯台のコントラストが、今も多くの表現者を魅了し続けています。
時代を越えて進化を続ける登録有形文化財
大王埼灯台は、昭和初期の面影を残す円筒形の美しい意匠が特徴です。平成16年(2004)4月1日には無人化を迎え、長年愛された初代レンズも平成17年(2005)11月にその役目を終えました。現在は25万カンデラの光を放つ最新灯器に更新され、30秒周期で交互に届く光は、約34キロメートル先まで達します。また、平成22年(2010)3月5日には資料室が開設され、平成25年(2013)3月29日には国の登録有形文化財に指定されました。戦時中の機銃掃射の痕跡を抱えながらも、歴史の証人として今なお毅然と立ち続けています。
未来へと受け継がれる波切の光
全国に16基しかない「のぼれる灯台」の一つとして、大王埼灯台は今も多くの旅人を迎え入れています。螺旋階段を登りきった先で肌に感じる潮風と果てしない水平線は、かつてこの地を守った九鬼水軍や、闇夜の海に火を灯し続けた灯台守たちの想いを今に伝えているかのようです。地域の誇りとして守られてきたこの光が、これからも航路の安全を支え、訪れる人々の心に希望を灯し続けることを願ってやみません。険しい自然と共生してきた先人たちへの深い敬意と共に、この風景を次世代へと繋いでいきましょう。
(2026年2月執筆)

当時の海の関係者から強く望まれて造られた灯台です。
PHOTO:PIXTA







