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旧仲枡塩田水門

  • 建物・施設

塩の町・宇多津の夜明けと巨大産業の歩み

延享2年(1744)、現在の丸亀市にあたる那珂郡垂水村の酒造業者・今田八五郎氏が「古浜塩田」を拓いたことが、宇多津における製塩の歴史の幕開けとなりました。天保10年(1839)には、讃岐の塩づくりの先駆者である久米栄左衛門が新たな設計図を描き、この地に塩の町としての夢を託します。明治4年(1871)には、高松藩が威信をかけた大規模な築造に着手し、海岸線は活気に満ちた空間へと変貌しました。明治31年(1898)に町制が施行される頃には、仲枡や沖枡といった8つの塩田が軒を連ね、見渡す限りの浜辺が白く輝く、日本を代表する一大産業拠点へと成長を遂げていきました。


潮風の中で育まれた暮らしと守り神の威容

明治以降、町の人口の8割以上が塩業に従事し、浜辺には常に人々の活気ある声が響いていました。広大な仲枡塩田では、潮の満ち引きを利用する「入浜式」が採用され、過酷な労働の末に濃い塩水が作られました。大正15年(1926)5月に誕生した「旧仲枡塩田水門」は、大雨や高潮からこの生活の場を守る巨大な盾でした。名工・渡邉柳太郎が手がけた石造りの威容は、日本一の規模と謳われ、人々の暮らしを支える誇りとなっていました。


時代の波と記憶を継承する文化財への昇華

昭和47年(1972)1月30日、近代的な製塩法の導入という国策により、数百年にわたる塩田の歴史は静かに幕を閉じました。その後、跡地は瀬戸大橋建設の舞台へと姿を変えますが、昭和62年(1987)に水門は「うたづ臨海公園」内へ移設され、翌年には塩田も復元されました。平成21年(2009)には、その歴史的価値から国の登録有形文化財に登録され、今もなお往時の記憶を現代へと伝える貴重な遺産として親しまれています。


先人への敬意と未来へ語り継ぐ塩田の誇り

潮風を全身に浴びながら、この地を支え抜いた先人たちの情熱と汗は、堅牢な花崗岩の水門に今も深く刻まれています。白く輝く塩田の風景は形を変えましたが、この水門が放つ圧倒的な存在感は、宇多津が歩んできた誇り高き歴史を何よりも雄弁に物語っています。町の礎を築いた人々への深い敬意とともに、この美しい情景と伝統の記憶が、未来の世代へ末永く語り継がれていくことが願われます。

(2026年5月執筆)

かつての営みを想像できます。

PHOTO:PIXTA

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