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湘南港

  • 建物・施設

相模湾の海運拠点から五輪の舞台へ

現在の藤沢市から茅ヶ崎市南部にかけて存在した伊勢神宮の荘園「大庭御厨」の時代である1144年(天養元年)に作成された『天養記』には、源義朝らの濫行事件が記録されていますが、当時の地形などから推測すると、この頃には引地川に設けられた港から小型船で豊かな物資が運ばれていたと考えられています。鎌倉時代(1185年頃〜1333年頃)には波音とともに江島明神へ航海安全を祈願する風習が根付き、江戸時代の1600年代から1700年代にかけては、複数の村から集められた年貢米が「江嶋浦」から江戸へ向けて船積みされました。その後、1773年(安永2年)より以前に行われた境川河口の流路付け替えによって片瀬湊が馬喰橋近くへと移動し、片瀬村の船主である治右衛門が、1803年(享和3年)に近隣の村々の名主と年貢米運搬の誓約書を交わし、1857年(安政4年)には駿河国の廻船問屋から200石積みの巨船を購入するなど、相模湾の商品流通の要所として大いに繁栄を極めました。

 

海と共に生きた人々の記憶と営み

地域社会において海は生活の基盤であり、1768年(明和5年)から始まった周辺の村々による漁場争いでは、幕府の評定所において片瀬村が広大な砂浜を活かした地引網、他村が沖合漁を行うという明確な境界が引かれました。1870年(明治3年)には浜船12艘、荷積船8艘が所属する活気ある港町の空気が漂い、1910年(明治43年)に発行された木製の漁船鑑札による厳格な係留管理や、1925年(大正14年)の川口村漁業組合の活況など、人々の営みと海が密接に結びついた歴史が深く刻まれています。戦後の1948年(昭和23年)には、片瀬に移り住んだ画家の丸木俊氏が、砂浜で力を合わせて重い地引網を引く漁師たちの力強い姿を鮮やかな油絵としてカンバスに残し、人々と海との温かい絆を今に伝えています。

 

時代の変革と国家プロジェクトの幕開け

1887年(明治20年)の東海道線藤沢駅開業を機に流通の主役が陸上交通へと道を譲る中、1956年(昭和31年)からは海岸侵食を防ぐ大規模な堤防建設の基礎調査が始まりました。1959年(昭和34年)5月の東京五輪開催決定に伴い、1961年(昭和36年)5月に湘南港の建設工事が着工されると、自然の猛威と闘う難工事を経て1964年(昭和39年)7月に東日本最大級の公共ヨットハーバーがわずか2年余りで完成しました。半世紀にわたり潮風に耐え、ヨットの白い帆を模した屋根で親しまれた旧クラブハウスは老朽化が進んだため、2013年(平成25年)1月から2014年(平成26年)6月にかけて総工費約9億4000万円をかけ、波をイメージした曲面屋根の新たな港湾管理事務所へとリニューアルされています。

 

歴史を語り継ぐ遺産と未来への願い

湘南港は日本のマリンスポーツのメッカとして歩みを続け、1998年(平成10年)の「かながわ・ゆめ国体」の舞台となり、2001年(平成13年)3月には1964年の五輪に出場経験を持つノルウェー国王夫妻が天皇・皇后両陛下とともに海風そよぐ思い出の地を再訪されました。激しい波浪に耐え当時の力強い姿を今にとどめる全長638メートルの南防波護岸や高さ18メートルの湘南港灯台などは、2016年(平成28年)9月に土木学会から「選奨土木遺産」の認定を受けました。先人たちの不眠不休の努力と技術の結晶が、これからも海の文化の象徴として永く後世に記憶され、未来の世代へと美しく引き継がれていくことが心より願われます。

(2026年7月執筆)

 

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