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八角トンネル

  • 建物・施設

九州を横断する夢を乗せて ― 熊延鉄道、敷設の記録

1915年(大正4年)、春竹駅(現・南熊本駅)を起点に「御船鉄道」が開業しました。1927年(昭和2年)には、熊本から山を越えて宮崎県延岡へ線路を延ばすという壮大な計画のもと、社名を「熊延鉄道」へと改めます。全長約30キロメートル、南熊本から終点の砥用まで全17駅を結ぶこの路線は、急峻な山々を縫うように敷設されました。沿線には、佐俣駅跡付近に架かる石橋「二俣橋」(1830年〈文政13年〉、種山村の石工・嘉八の作)や、津留川に架かる複数の鉄橋など、地域の歴史と結びついた構造物が点在していました。


落石から列車を守った、7基の防護壁

美里町の山中には、切り立つ山肌から線路へ滑り落ちる土砂や岩石から列車を守るため、コンクリート製の八角形の柱枠を等間隔に7基並べた「落石よけ」が建設されました。すべてを一続きのトンネルとして覆うのではなく、あえてすき間を設けて7基に分けるという珍しい工法で造られていますが、現地を訪れる鉄道ファンの間ではその実際の効果を疑問視する声もあり、その設計意図には今なお謎が残されています。この構造物は現在「八角トンネル」と呼ばれ、熊延鉄道が山間部を走った当時の技術を伝えています。


モータリゼーションの波と、廃線への道

高度経済成長にともなう自家用車や乗合バスの普及により、1964年(昭和39年)、熊延鉄道は廃止されました。同年4月29日には、南熊本駅にて最後を目前にした気動車「ヂハ200形・ヂハ201」の姿がカメラに記録され、お別れを惜しむ当時の空気を今に伝えています。廃止後、車両の一部は滋賀県の江若鉄道や岡山県の玉野市営電気鉄道へ譲渡され、鉄道会社としての熊延鉄道は姿を消しましたが、その事業は現在の「熊本バス」として引き継がれました。沿線には、下永富橋の橋銘板に残る「熊延鉄道」の文字や、上島駅跡に残るガーター橋、浅井駅跡の石碑など、当時の痕跡が今も点在しています。


苔むした柱が語る、鉄路の記憶

現在、八角トンネルは見学者用の駐車場から約200メートルの山道を進んだ先にあり、60年の歳月を経て柱には苔がむし、周囲の樹木と一体となった姿が「異世界への入り口」としてSNSなどで注目を集めています。2023年(令和5年)8月15日には、熊本県宇城地域振興局と上益城地域振興局が、この八角トンネルをはじめとする熊延鉄道の遺構を紹介する公式ガイドブック「熊延鉄道を探そう」を発行し、地域の記憶を後世に伝える取り組みが続けられています。

(2026年8月執筆)

PHOTO:写真AC

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