【東京高速道路】KK線 廃止
- 建物・施設
首都高速道路とKK線(東京高速道路)は、戦後の東京の交通事情改善に大きな役割を果たしてきました。
1951年、銀座の復興と自動車交通量の緩和を目的として、財界人によって東京高速道路株式会社が設立されました。銀座周辺の外堀、汐留川、京橋川を埋め立てて高架道路を建設する計画が始まりました。1959年6月、KK線の土橋から城辺橋間が一方通行で開通し、これが首都高速道路よりも早い供用開始となりました。その後、1963年12月には蓬莱橋から紺屋橋間が相互通行で開通しました。首都高速道路は1962年に都心環状線京橋~1号羽田線が開通し、後にKK線との連絡が始まりました。1966年7月2日にはKK線が全線開通し、首都高速都心環状線の京橋JCTも供用開始となりました。
長年にわたり東京の交通を支えてきたこれらの道路ですが、2025年4月上旬から大きな変化を迎えます。首都高速八重洲線が2035年度まで長期通行止めとなり、同時にKK線は廃止されることが決まっています。これらの道路は東京の発展と共に歩んできた歴史の証人です。廃止前に一度は走ってみる価値がありそうです。
(2024年11月執筆)
PHOTO:PIXTA