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グランドプリンスホテル新高輪 営業終了

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巨匠・村野藤吾が描いた白亜の曲線美と誕生の軌跡

昭和57年(1982)4月25日、かつて高輪ゴルフセンターが位置していた緑豊かな高台に「新高輪プリンスホテル」は産声を上げました。都心の喧騒を忘れさせる風光明媚な地に誕生したこのホテルは、戦後日本の豊かさを象徴する白亜の殿堂として、開業当時から大きな注目を集めました。設計を担ったのは、日本建築界の巨匠であり日本芸術院会員でもあった村野藤吾氏です。当時80代という円熟期にいた彼は、世界に開かれた東京を象徴する都市ホテルを目指し、その情熱のすべてを注ぎ込みました。青空に映える緩やかなカーブの外観は、直線を排し人間の手のぬくもりを尊ぶ村野独自の美学が凝縮されており、訪れる人々を優雅に迎え入れてきました。

 

職人の手仕事が息づく空間と「飛天」に輝く銀河

館内は、村野藤吾氏が細部まで意匠を凝らした巨大な工芸品のような空間です。全908室の客室には、南欧のリゾートを彷彿とさせる約1,000個もの白いバルコニーが並び、繊細なアイアンレリーフが風を運びます。特に地下1階の大宴会場「飛天」は、天井に約30万枚のアコヤ貝が敷き詰められた圧巻の聖域です。昭和58年(1983)のフリオ・イグレシアスの公演以来、ディナーショーの聖地として君臨し、音楽特番の舞台としてお茶の間にも親しまれました。また、作家・井上靖によって命名された「飛天」や「国際館パミール」といった名称には、無限のロマンが込められており、プロ野球ドラフト会議や国際会議など、数々の歴史的瞬間を見守る交流の場として愛されてきました。

 

時代の要請に応えた進化と再開発による決断

平成19年(2007)にはブランド戦略の一環で「グランドプリンスホテル新高輪」へと改称し、隣接するホテル群と共に広大な日本庭園を有する回遊型リゾートとしての地位を確立しました。平成4年(1992)のプール開放や、平成28年(2016)のアライバルエリア刷新など、時代に合わせたリニューアルを重ねてきましたが、品川駅西口地区の大規模な再開発計画により、大きな転換点を迎えることとなりました。最新の計画では、国際競争力を高める複合施設への刷新が掲げられています。具体的な数字として、開業から40年以上の月日が流れた令和8年(2026)度をもって、この歴史ある建物はその役割を終え、閉館することが決定しています。

 

記憶に刻まれる白亜の殿堂への敬意と別れ

村野建築の真髄である職人との対話から生まれた緻密な装飾は、現代の工法での再現が極めて困難な「一期一会」の芸術品です。それゆえに、解体という選択は一つの時代の終焉を意味し、多くの建築ファンや利用客に惜しまれています。昭和、平成、そして令和と、華やかな文化と数多の人生の節目を包み込んできた白亜の迷宮は、その優美なシルエットを人々の記憶に深く刻み込み、静かに品川の丘を去ろうとしています。これまで至福のひとときを提供してくれたスタッフの方々と、この建築を守り抜いた情熱に深い敬意を表します。この場所で育まれた数々の物語は、形を変えても次の世代へと語り継がれていくことでしょう。

(2026年2月執筆)

PHOTO:PIXTA

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