Final 2002年3月31日 記事朝日町立水本小学校 閉校のイメージ画像 History 118年

朝日町立水本小学校 閉校

  • 文化・教育施設

高台に灯った学びの灯 ― 朝日町立水本小学校、121年の歩み

山形県西村山郡朝日町水本620番地の高台に、1881年(明治14年)、朝日町立水本小学校が開校しました。以来120年以上にわたり地域の子どもたちの学び舎として存続しましたが、少子化の進行により2002年(平成14年)3月、閉校が決定します。同年4月、在籍していた児童は朝日町立宮宿小学校へ編入されました。この統合は、翌2003年(平成15年)4月の上郷小学校・送橋小学校の統合、さらに2008年(平成20年)4月の和合小学校の統合へと続く、朝日町における一連の教育環境再編の先駆けとなっています。現在も宮宿小学校の学区には「西村山郡朝日町水本」の地名が残されています。


酬恩碑と、行政の境を越えた越境通学の絆

水本小学校の初代校長・五十公野与三郎氏の教えに感謝した教え子たちは、その徳をしのぶ記念碑の建立を計画し、当時の政界の要人であった鳩山一郎氏(後の内閣総理大臣)に揮毫を依頼、1934年(昭和9年)7月、校内に「酬恩碑」が建立されました。1966年(昭和41年)10月26日には、五十公野氏の偉徳をしのぶ祭典式が水本小学校の体育館で開かれ、隣接する山辺町摂待地区や白鷹町針生地区からもかつての教え子が集まりました。水本小学校は朝日町と山辺町の境界付近に位置し、学校に最も近い民家が山辺町摂待地区にあったことから、同地区の児童が朝日町の水本小学校へ越境通学するという、行政区域を越えた地域の結びつきが続いていました。


卒業記念樹と、教室に干された凍み餅

1995年度(平成7年度)、水本小学校最後の卒業生はわずか3名で、校庭の片隅に記念の苗木を植えました。この木は2012年(平成24年)夏には大きく育ち、当時の校庭では遊具にアケビのツタが絡まる光景も見られました。閉校後、木造校舎は地域住民によって管理が続けられ、地元の有志グループ「朝日北の原食品」の活動拠点として、冬には「凍み餅」や梅干し、漬け物づくりの場となりました。ここで作られた凍み餅は、JR山形駅の土産物店でも販売されるようになりました。しかし老朽化が進んだため、朝日町議会は2020年(令和2年)6月の定例会で校舎の解体請負契約を可決し、同年夏から秋にかけて校舎は取り壊されています。


跡地に残る石碑群と、受け継がれる地域の絆

現在、跡地の高台には校門とともに「酬恩碑」「報恩碑」「百周年記念碑」「閉校記念碑」といった石碑が残されています。水本地区の子どもたちは現在もスクールバスで宮宿小学校へ通っており、同校で開かれる秋の伝統行事「かぼちゃ大運動会」には、カボチャを抱えて走るリレー競技が今も受け継がれています。

(2026年8月執筆)

卒業生・先生・地域住民など関係者様の心の中に、美しい思い出が永遠に記憶されますように。

PHOTO: 廃校5000 様

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