【根室本線】別当賀駅 廃駅か
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鉄路の敷設から車掌車駅舎への転換
根室本線の別当賀駅は、1920年(大正9年)11月10日に鉄道省釧路本線の延伸に伴い開業しました。翌1921年(大正10年)8月5日に根室本線へ改称され、新得起点278.2キロの拠点として機能を開始しました。かつては相対式ホーム2面2線と貨物側線を備えていましたが、1979年(昭和54年)7月15日に貨物取扱い、1984年(昭和59年)2月1日に荷物取扱いが廃止されました。1986年(昭和61年)11月1日に無人化された際、旧木造駅舎が解体され、二重窓仕様の車掌車(ヨ3500形)を改造した貨車待合所へ改築されました。1987年(昭和62年)4月1日のJR北海道継承を経て、1992年(平成4年)4月1日には完全無人化されました。2026年(令和8年)8月17日にはJR北海道より駅廃止の意向が打診されています。
浅瀬のアイヌ語地名と大規模酪農の展開
駅名の呼称は、川の浅瀬を水がうねり流れる地形を示すアイヌ語「ペトゥッカ」に由来します。行政上の表記は「べっとうが」ですが、駅名は長音を省いた「べっとが」として登録されました。明治期の開拓初期は馬産や穀物栽培、薪炭生産が中心でしたが、頻発する冷害を克服するため乳牛の飼育へと転換しました。1965年(昭和40年)以降の酪農近代化政策により、一戸あたりの規模において国内屈指の大型酪農地帯へと発展を遂げました。広大な草地を活かした牧草自給率100パーセントの生産体制が確立され、格子状の防露林や原生的な湿地、水系がモザイク状に交錯する独自の地域景観が保たれています。また、これらの自然環境はタンチョウやオジロワシなど希少動植物の繁殖地としても機能しています。
集落構造の変容とフットパスによる地域再生
かつて駅逓や製材所が賑わいを見せた集落は、産業の推移に伴い酪農家が点在する散村形態へと移行しました。地域の教育拠点であった別当賀中学校は1989年(平成元年)に、別当賀小学校は1998年(平成10年)に厚床地区の学校へ統合閉校となり、校舎は2003年(平成15年)4月より生涯学習施設「別当賀夢原館」として利活用されています。通学利用者の減少が進む中、2000年(平成12年)から2001年(平成13年)にかけて地元の若手酪農家グループが景観保全と都市交流を目指して立ち上がりました。牧場や海岸線を結ぶ国内初の公共散策路「根室フットパス」を整備し、当駅を起点とする約5キロメートルの「別当賀パス」を開設しました。この試みは農林水産省の事業に選定されるなど、地域再生の先駆例として評価されています。
貨車待合所が語る鉄道遺構と周辺景観
現在の駅設備は単式ホーム1面1線で、線路脇に据え置かれたヨ3500形車掌車改造の待合所が象徴的な佇まいを見せています。外装はかつてのイラスト塗装から白と水色のシンプルなツートンカラーへ再塗装されましたが、内部には木製長椅子が残り往時の雰囲気を伝えています。ホーム向かい側にはかつての交換設備や引込み線の路盤跡が視認でき、駅前広場の名所案内板は、撤去された対面ホームの旧駅名標枠を転用した構造的特徴をとどめています。駅前からは北海道道953号別当賀酪陽線が延び、東方には旧校舎を活用した夢原館が佇んでいます。駅舎内のノートには遠方からの来訪者の足跡が刻まれており、広大な防露林と太平洋の断崖に挟まれた辺境の交通結節点として独自の存在感を放っています。
(2026年11月執筆)

車掌車を改装待合室が、旅情を静かに伝えています。

多くの方々の大切な思い出が色褪せないでほしいものです。
PHOTO:写真AC







