Final 2017年3月31日 記事和歌山市立雄湊小学校 閉校のイメージ画像 History 144年

和歌山市立雄湊小学校 閉校

  • 文化・教育施設

紀州藩の学びを継ぐ雄尋下小学校の誕生

明治6年(1873年)、紀州藩の学問所であった「学習館」の跡地において、和歌山市立雄湊小学校の前身となる「雄尋下小学校」が産声を上げました。学校の傍らには市堀川がゆるやかに流れ、児童たちは水面に架かる寄合橋を踏み鳴らしながら学び舎へと通ったといいます。周辺の「昌平河岸」は多くの商店が軒を連ねる活気ある幹線道路で、商人の威勢の良い声が響くにぎやかな湊町の風景が広がっていました。この地は、後に世界的な博物学者となる南方熊楠や、「経営の神様」と称される松下幸之助が少年時代を過ごした場所でもあります。名士たちを育んだ豊かな教育環境と、城下町の情緒が色濃く残る歴史ある小学校として、その第一歩を刻み始めました。


寄合橋に刻まれた記憶と奉公への旅立ち

地域の人々にとって、通学路の象徴である寄合橋は忘れられない情景の一部です。松下幸之助は明治37年(1904年)頃、わずか9歳で単身大阪へ奉公に出る際、紀の川駅のホームで見送りに来た母親と涙ながらに別れを惜しんだと伝えられています。また、昭和16年(1941年)に架け替えられたコンクリート製の寄合橋には、今も昭和20年(1945年)の和歌山大空襲による焼夷弾の痕跡が黒く刻まれています。激動の時代を生き抜いた橋の姿は、郷土の先人たちの歩みや、戦火を乗り越えてきた地域の絆を現代に伝える無言の証人となっているのです。


時代の変遷と資料館への想い

昭和20年(1945年)の空襲で校舎を焼失した本校は、湊南国民学校と合併し「雄湊国民学校」として新たな歩みを始めました。かつての跡地は酒造会社「世界一統」の工場となり、復興の象徴として酒仕込みの香りが漂う街へと変わりました。平成25年(2013年)には、地域の歴史を後世に伝えるべく校内に「雄湊歴史資料館」が開設され、住民から寄せられた懐かしい生活用品が並びました。しかし、少子化の波には抗えず、平成29年(2017年)3月31日、144年の輝かしい歴史に幕を閉じ、伏虎義務教育学校へとその魂を引き継ぐこととなりました。


伝統の継承と未来へ繋ぐ学び舎

長きにわたり地域を照らし続けた雄湊小学校の校舎は、閉校後も形を変えて生き続けています。平成30年(2018年)4月からは「東京医療保健大学 和歌山看護学部」のキャンパスとして活用され、再び若者たちの活気あふれる声が校庭に響くようになりました。また、歴史資料館も敷地内のプレハブへと移設され、地域住民や松下政経塾の塾生たちが訪れる交流の場として大切に守られています。かつての学び舎が育んだ「雄湊の精神」は、新しい時代を担う学生たちや地域の人々の心の中に、これからも決して消えることなく灯り続けていくことでしょう。

(2026年2月執筆)

 

校庭から校舎を望みます。

 

子供たちの歓声が聞こえてきそうです。

 

長い間本当にお疲れ様でした。

PHOTO:沖縄県在住T様

 

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