記事芦生研究林森林軌道のイメージ画像

芦生研究林森林軌道

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森を貫く鉄路の誕生と試練の歴史

大正10年(1921)、京都帝国大学が知井村の広大な森に地上権を設定したことから、芦生研究林の歩みは始まりました。峻烈な地形が続く由良川の源流域から木材や木炭を運び出すため、昭和2年(1927)には事務所から大蓬へ向けて軌道の開削が開始されます。翌昭和3年(1928)にはさらに奥地の七瀬まで路盤が切り開かれ、静寂な森に近代的な交通網の礎が築かれました。昭和9年(1934)に本格的な鉄のレールが敷かれると、谷間には重厚な車輪の音が響き始めます。戦時下の昭和18年(1943)には軍用機の材料確保のために支線も急ピッチで延伸されましたが、昭和24年(1949)のヘスター台風によって一部の線路は土砂に呑み込まれ、永遠に失われるという悲劇も経験しました。

 

灰野集落の暮らしと子供たちの記憶

かつて軌道の要所であった灰野集落には、山仕事に従事する家々が身を寄せ合うように建っていました。子供たちは枕木を踏みしめて分校へ通い、通りがかった職員のトロッコに便乗させてもらうといった温かな交流が日常にありました。しかし、昭和36年(1961)に下流へ電気が通るなか、谷底の灰野だけは深い闇に取り残されます。テレビを求める子供たちの切実な声に押されるように、昭和41年(1966)に全世帯が村を去り、集落は廃村となりました。


使命の変遷と近代化産業遺産への歩み

昭和63年(1988)に天然林の伐採が原則禁止されると、木材搬出という本来の使命は幕を下ろしました。それでも平成20年(2008)には、現役で動く貴重な遺産として近代化産業遺産に認定されています。現在は崖崩れ等で奥地の荒廃が進んでいますが、事務所から灰野の区間は、令和2年(2020)に更新された地上権のもと、今も研究やツアーのために農機具エンジンを載せた手作り感あふれる機関車が、その独特なエンジン音を響かせ続けています。


先人の轍を次世代へ繋ぐ願い

険しい山肌にレールを敷き、過酷な自然の中で木材を運び続けた先人たちの情熱は、錆びついた鉄路の中に今も息づいています。時代は移ろい、森の景色が姿を変えても、この「森の命綱」が紡いできた物語が色あせることはありません。京都の奥深き源流域に刻まれた歴史の轍が、これからも貴重な学術の場として、そして人々の記憶を繋ぐ架け橋として守り継がれていくことが心より願われます。

(2023年5月執筆)

京都府南丹市にも歴史ロマン溢れる場所があります。

PHOTO:PIXTA

 

 

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