桜道橋
- 建物・施設
震災復興の象徴として誕生した櫻道橋
大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受けた横浜において、国家的な帝都復興事業の一環として建設されたのが櫻道橋です。本牧と関内を直結する山手隧道の開削に伴い、深く分断されることとなった桜道の往来を確保するため、昭和3年(1928)8月に歩行者専用の陸橋として完成しました。設計は内務省復興局が手掛け、施工は間組が担当しており、当時の最高峰の土木技術と美意識が随所に注ぎ込まれています。昭和3年(1928)9月1日には周辺の行政区域も整理され、新たに「横浜市中区麦田町」という町名が誕生し、地域は新たな歴史を歩み始めました。
新路の開通に沸いた地域社会の熱狂
山手隧道と櫻道橋の開通以前、本牧の住民は峻険な山を越えるか迂回を強いられ、物資の輸送費がかさむため物価が市価より2割も高いという苦労を抱えていました。物流の利便性が一気に向上したことで住民は大いに歓喜し、昭和3年(1928)3月16日の開通式には遠方の商店街までが売り出しを行うなど街全体が熱狂に包まれました。当時の交通量調査では、24時間で5622人の歩行者が行き交ったほか、自動車とともに500台を超える荷馬車や牛車、人力車が通行した記録が残されています。最新の乗り物と古き良き人力の動力が混ざり合う、昭和初期特有の喧騒と活気がそこにはありました。
時代の波と近代化による景観の変化
かつて春には花見客で賑わった桜道ですが、時代の流れとともにその周辺環境は大きく変化しました。隣接していた横浜市電の麦田車庫や「麦田」停留所は、昭和45年(1970)の市電本牧線廃止により姿を消し、市電専用だった本牧隧道は昭和51年(1976)に自動車用の「第二山手隧道」へとリニューアルされています。また、文化的価値の高さから、櫻道橋は平成16年(2004)度に横浜市認定歴史的建造物に認定され、平成27年(2015)には「元町・山手地区の震災復興施設群」として土木学会選奨土木遺産に認定されました。
歴史を語り継ぐ風格と未来への祈り
上路式鉄筋コンクリート・アーチ橋という堅牢かつ優美な構造を持つ櫻道橋は、直下の山手隧道と一体となった重厚な石張りの意匠を今に伝えています。親柱の上面には、かつて周囲を照らした照明器具の凹みが残されており、往時の面影を静かに漂わせています。震災直後の荒涼とした風景から見事な復興を遂げ、現在は緑豊かな山手の街並みと、遠方に広がるみなとみらいの現代的なビル群を同時に見渡すことができます。激動の昭和を乗り越え、都市の記憶を宿すこの貴重な遺構が、今後も地域の誇りとして末永く守り継がれることが心より願われます。
(2023年6月執筆)
PHOTO:PIXTA







