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明智川拱橋

  • 建物・施設

大正の息吹を伝える日本先駆のコンクリートアーチ橋

大正時代から地域の足を支え続ける、歴史的な橋梁があります。大正5年(1916)7月3日に竣工し、北勢鉄道の楚原駅から阿下喜東駅までの延伸(大正5年8月6日開業)に伴い、難所であった明智川に架けられたのが「明智川拱橋」です。通称「めがね橋」と呼ばれるこの三連アーチ橋は、橋の工事を請け負った郡竹治郎と、設計者である地元の多湖英一氏らによって造られました。当時は第一次世界大戦を背景として鋼材が不足していたため、最先端の無筋コンクリートブロックを伝統的な石積み技法で精緻に組み上げる先駆的な挑戦が行われたのです。昭和6年(1931)7月8日の阿下喜東〜阿下喜間開通と同時に全線電化が完了して以降は、軽快なモーター音とともに通勤や通学の人々を乗せた小さなナローゲージの車両が行き交い、沿線は長きにわたり豊かな活気に包まれました。


四季の美しさと地域の人々に愛されるのどかな風景

このめがね橋の周辺には、今もどこか懐かしい日本の原風景が広がっています。春には水田に美しい三連アーチが映り込み、秋には土手を彩る彼岸花と黄色い車両が鮮やかなコントラストを描き出します。列車の音が心地よく響くこの小径はウォーキングコースとしても人気で、のんびりと水彩画を描く人の姿も見られます。手作りの通過時刻表からは、鉄道を温かく見守る地域住民の優しい心が伝わってきます。


幾多の苦難を乗り越えて走り続ける現役の産業遺産

時代の波により近鉄時代には赤字で廃線の危機に直面したものの、平成15年(2003)に三岐鉄道へ経営移管され、住民の熱意で守られました。平成21年(2009年度)には土木学会選奨土木遺産に選定されています。過去には昭和32年(1957)11月25日の脱線事故や多くの水害も経験しましたが、適切な補修を重ね、110年以上経った今も現役の産業遺産として黄色い電車を乗せ、力強く稼働を続けています。


先人の知恵と情熱を未来へとつなぐ記憶の鉄路

軽量なナローゲージだからこそ、無筋コンクリートの橋に過度な負担をかけず、今日まで崩落せず維持されてきました。幾多の災害に立ち向かい、鉄路を守り抜いてきた関係者や地域の方々の絶え間ない苦労には、深い敬意を表せざるを得ません。江戸期からの水利の歴史とともに、先人が築いた土木の粋が、黄色い電車の走る風景とともに未来へ末永く受け継がれていくことが心から願われます。

(2026年5月執筆)

在りし日の営みを今に伝える遺跡です。

 

その美しい佇まいは今なお多くの人々を魅了します。

PHOTO:PIXTA

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