上椎葉ダム
- 建物・施設
日本初の巨大アーチ式ダム、椎葉の山奥に生まれる
宮崎県東臼杵郡椎葉村。九州山脈の懐深くに横たわるこの地に、日本の土木史を塗り替える巨大建造物が誕生したのは1955年(昭和30年)のことでした。戦後復興期、北九州工業地帯への電力供給という国家的急務を背負い、1946年(昭和21年)、日本発送電株式会社が椎葉村に調査所を開設したことがすべての始まりです。当初計画されていたのは高さ133メートルの重力式ダムでしたが、1947年(昭和22年)に日本へ招かれた海外技術顧問団(OCI)の勧告を受け、1952年(昭和27年)、九州電力は水圧を両岸の岩盤に分散させるアーチ式へと方針を転換しました。こうして完成した高さ110メートル、長さ341メートルの上椎葉ダムは、日本初の大規模アーチ式コンクリートダムとして、戦後日本の電力事情を大きく支えることとなったのです。
山村に生まれた「椎葉銀座」と、住民たちの決断
ダム建設の最盛期、静寂に包まれていた山村には全国から集まった約8,000人の労働者がひしめき、2軒の映画館やパチンコ店が軒を連ねる「椎葉銀座」という歓楽街まで出現しました。その裏で、73戸515人の住民が先祖代々の土地を離れる決断を迫られています。貧しい母子家庭に育った少女が、ダム建設によって母親の収入が安定し、高校へ進学できたと語り継ぐように、この巨大事業は人々の暮らしを大きく変えました。険しい工事の陰では105人が命を落とし、その御霊を慰めるため、女神像公園に三女神像が建立されています。
「日向椎葉湖」と受け継がれた技術、今なお続く歩み
ダムが湛える9,155万立方メートルの水をたたえる人造湖は、その美しさから小説家・吉川英治によって「日向椎葉湖」と名付けられました。ここで培われた技術は、1958年(昭和33年)完成の鳴子ダムや、1963年(昭和38年)完成の黒部ダムへと受け継がれています。2019年(令和元年)11月16日には、初めて観光客向けの放流が実施され、集まった約400人の観衆が空中で飛沫を上げる轟音に歓声を上げました。
礎を築いた人々への敬意とともに
険しい山中での5年に及ぶ工事に延べ500万人もの人々が携わり、その中には尊い命を落とした105名の労働者もいました。彼らが刻んだ礎の上に、今日の九州の電力があることを、私たちは忘れてはならないはずです。悠久の時を経てなお静かに水をたたえる上椎葉ダムが、これからも椎葉の山と共にあり続けることが願われます。
(2026年7月執筆)
PHOTO:写真AC







