記事鳴子ダムのイメージ画像

鳴子ダム

  • 建物・施設

4年連続の水害が動かした、治水事業

昭和22年(1947年)9月、東北地方を襲ったカスリン台風は、江合川沿いの町々に甚大な被害をもたらしました。鳴子だけでなく、下流の岩出山や古川など流域一帯が水害に見舞われます。翌昭和23年(1948年)のアイオン台風、昭和24年(1949年)のキティ台風、そして昭和25年(1950年)の激しい豪雨と、4年連続で深刻な水害が繰り返され、流域の人々の暮らしを脅かし続けました。この深刻な事態を受け、江合川の治水と利水を目的とした鳴子ダムの建設が計画されます。昭和27年(1952年)、複雑なカルデラ地形が広がるこの地で、いよいよ工事が着工されました。


外国人技師に頼らず、日本人だけで挑んだ難工事

鳴子ダムの建設現場は、複雑に入り組んだカルデラ地形という技術的難題を抱えていました。当時、大規模なアーチ式ダムの建設は外国人技術者の指導を仰ぐことが一般的でしたが、鳴子ダムの建設には外国の技術者を招かず、日本人技術者だけが挑みました。険しい山あいでの困難な測量と施工を重ねながら、技術者たちは自らの手でこの難工事を成し遂げていきます。


我が国初の、本格的100m級アーチダム

昭和27年(1952年)から工事が始まり、約6年をかけた昭和32年(1957年)10月、鳴子ダムが完成しました。日本人技術者のみによって建設されたこのダムは、我が国初の本格的100m級アーチ式コンクリートダムとして高く評価されています。附帯する鳴子発電所も整備され、洪水への備えとともに発電・かんがいも担う多目的ダムとして、地域を支える施設となりました。


技術遺産として、今に受け継がれる

平成28年(2016年)9月、鳴子ダムはその歴史的・技術的価値が評価され、土木学会の選奨土木遺産に認定されました。カスリン台風の教訓から生まれ、日本人技術者たちの手によって築かれたこのアーチダムは、今もなお江合川流域の暮らしを静かに守り続けています。

(2026年8月執筆)

PHOTO:PIXTA

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す