Final 2010年3月31日 記事五城目町立内川小学校 閉校のイメージ画像 History 135年

五城目町立内川小学校 閉校

  • 文化・教育施設

湯又学校から

五城目町で学校教育が始まったのは、学制が発布された1872年(明治5年)の2年後、町の中心部に森嶽学校が開かれたときでした。翌年5月、学びの場は周辺の村々へ広がり、旧内川村に湯又学校が開校します。これが内川小学校の始まりです。この創立の記録は、のちに統合先となる五城目小学校の沿革史料に残されています。1955年(昭和30年)3月、五城目町と内川村、大川村、馬場目村、富津内村の1町4村が合併し、学校は五城目町立内川小学校と名を改めました。所在地は内川湯ノ又字苗代沢。山あいの集落に置かれた学校でした。

 

写真に残る学校の一年

五城目小学校の創立150周年記念事業誌には、内川小学校の姿を写した写真が収められています。山あいの緑に囲まれた敷地に、2階建ての校舎と体育館が並んでいます。冬の写真では、防寒具に身を包んだ子どもたちが雪に覆われた道を登校していきます。町の朝市では、青いハッピを羽織った児童が手作りの品を訪れた人に手渡しています。体育館の舞台では、揃いの衣装に鉢巻きを締めた児童が地元の踊りを披露する内川地区合同文化祭の様子も写っています。学校の行事が、集落や町の人々と接する場になっていたことが写真からうかがえます。

 

閉校、そして公民館へ

2010年(平成22年)3月31日、内川小学校は閉校し、135年の歴史を閉じました。翌4月から、児童は五城目小学校へ移ります。閉校式では体育館に児童と教職員、地域の人々が集まり、感謝の言葉と合唱で校舎に別れを告げました。校庭には球体の金属製タイムカプセルが埋められ、「五城目町立内川小学校跡」と刻まれた記念碑が建てられて除幕式が行われています。閉校記念事業実行委員会は同じ3月に記念誌『湯越山』を刊行し、この記念誌は秋田県立図書館に郷土資料として所蔵されています。建物はその後、内川総合生きがいセンター(内川公民館)として再整備されました。体育館と制作室、研修室、調理室を備え、陶芸や木工、俳句、押し花などの教室が開かれ、体育館は住民に無料で開放されています。

 

学校のない集落で

閉校と同じ時期に、地域を走っていた路線バスも廃止されました。移動や買い物の不便が表に出てきたなかで、住民の有志が「ちょっとした困りごと応援隊」を立ち上げます。この活動を基盤に、自治会役員や老人クラブ、婦人会の有志が集まって浅見内活性化委員会が組織されました。2016年(平成28年)3月30日には、住民自らが運営する商店「みせっこあさみない」が開業しています。集落の方言や名所を伝える「浅見内カルタ」が作られ、2019年(令和元年)からは黒土、湯ノ又、小倉、浅見内の4集落が合同で冬のイルミネーションを灯しています。学校がなくなった後も、かつての学区の人々が集まる場と機会は、かたちを変えて続いています。公民館となった校舎と集落の商店を、訪ねてみてはいかがでしょうか。

(2026年9月執筆)

 

「135年分の想いをこめて」。閉校を迎えた学校へ向けた看板が、草に囲まれて立っています。

 

草に覆われた坂道の先に、かつての校舎がありました。

PHOTO:廃校5000様

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す