記事オランダ堰堤のイメージ画像

オランダ堰堤

  • 建物・施設

都の造営を支えた山と、荒廃から生まれた救世の堰

持統天皇8年(694)の藤原京造営や天平12年(740)頃の石山寺建立など、滋賀県大津市の田上山は古くから良質なヒノキを供給し、国家の建築を根底から支える豊かな森でした。しかし寛永17年(1640)頃の江戸時代に入ると、燃料確保のための過剰な伐採によって緑は失われ、山肌が露出する「田上の禿」と呼ばれる荒野へと変貌してしまいます。天和3年(1683)には保水力を失った山から土砂が流出し、下流域に甚大な被害をもたらす大水害が発生しました。この窮地を救うべく明治政府は明治6年(1873)に治水事業を本格化させ、お雇い外国人のヨハネス・デ・レーケの影響を受けた日本人技師の田辺義三郎の設計により、明治22年(1889)に砂防の原点となる「オランダ堰堤」を完成させたのです。


石工の技と「ハガネ」に込められた先人たちの情熱

オランダ堰堤の建設現場では、地元から切り出された花崗岩を加工する石工たちののみの音が絶え間なく響いていました。精巧な階段状の石積みは、越流する水の勢いを優しく受け流す力学的な合理性と、建築物としての美しさを兼ね備えています。また、堰堤の内部には「ハガネ」と呼ばれる水漏れ防止の工夫が凝らされ、赤土と石灰を混ぜ合わせた粘土を職人たちが丹念に叩き固めて充填しました。緩やかなアーチを描く造形から生まれる白い水しぶきと心地よい水音は、当時の人々の汗と知恵が結晶となった、まさに芸術品とも呼べる光景を今に伝えています。


蘇った緑の森と、現在も歩みを止めぬ現役の産業遺産

完成から110年以上という長い年月が経過した現在も、オランダ堰堤は致命的な劣化を見せることなく、現役の砂防ダムとして草津川の安全を守り続けています。明治期から粘り強く続けられた植林活動の実を結び、かつての禿山は豊かな森林へと再生しました。昭和63年(1988)には大津市の史跡に指定され、平成元年(1989)には「日本の産業遺産300選」、平成16年(2004)には「選奨土木遺産」の栄誉に浴しています。現在は自然休養林として整備され、週末には水遊びを楽しむ家族連れやハイカーの笑い声が絶えない、地域に愛される憩いの場となっています。


歴史を刻む石積みへの敬意と、未来へ繋ぐ不変の願い

デ・レーケの先進技術を取り入れた田辺義三郎らの設計と、この地の安寧を願った名もなき作業員たちの祈りは、100年の時を超えて今もこの堅牢な石積みの中に息づいています。自然の猛威に立ち向かい、かつ荒廃した山を元の姿に戻そうとした先人たちの不屈の精神こそが、この美しい風景を守り抜いてきたのです。時代が移り変わっても、どっしりと鎮座するオランダ堰堤の佇まいは、私たちに自然との共生の大切さを静かに語りかけてきます。この貴重な歴史の断片が、これからも変わることなく次世代の記憶へと受け継がれていくことを切に願ってやみません。

(2026年4月執筆)

滋賀の地にも在りし日の営みを今に伝える史跡が残っています。

PHOTO:PIXTA

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す