親不知子不知
- 建物・施設
断崖絶壁が紡ぐ北陸道一の難所の記憶
新潟県糸魚川市に位置する親不知・子不知は、北アルプスが日本海の深海へと一気に落ち込む壮大な断崖絶壁です。古来「北陸道一の難所」として恐れられ、大和時代から始まった最初の道は、潮の満ち引きを見極めながら波打ち際を駆け抜ける命がけのルートでした。平安時代には、平頼盛の妻が愛児を荒波にさらわれ「親知らず子は波まくら」と詠んだ悲哀に満ちた歌が地名の由来として伝わっています。戦国時代には勝山城から見下ろす軍事拠点となり、江戸時代には加賀藩の参勤交代で「波よけ人足」が冷たい海で人間の壁を作って行列を守るなど、激しい自然の中で常に歴史の要所としての役割を担い続けてきました。
旅人の命を繋いだ温もりと歴史の足跡
波打ち際を歩む過酷な通行を迫られた旅人にとって、岩の窪みである「大フトコロ」や波除観音は、荒波が静まるのを待つ唯一の希望の拠り所でした。元禄2年(1689)にこの地を通った松尾芭蕉も、険しい道を越えた後に市振の宿で深く身を横たえています。また、厳しい冬の季節風から果実を守る「みかん巻き」の冬囲いなど、過酷な風土の中で育まれた人々の温かな暮らしの知恵が、今も象徴的な文化として語り継がれています。
四世代の進化を経て生まれ変わる近代交通路
明治16年(1883)12月に人力車が通る新道が開通して以降、この地の交通は劇的な変化を遂げました。昭和42年(1967)には国道8号、昭和63年(1988)には北陸自動車道が誕生し、かつての難所は瞬時に通り抜けられる近代的交通網へと変貌しました。昭和40年(1965)に廃止された旧北陸本線の美しい煉瓦トンネルが今も静かに佇む一方、昭和61年(1986)に「日本の道100選」となった旧道は現在、約1キロメートルの遊歩道として多くの人に親しまれています。
幾多の試練を越えて未来へ繋ぐ不屈の絆
険しい断崖に立ち向かい、命がけで道を切り拓いてきた先人たちの血の滲むような努力には、深い敬意を表さずにはいられません。大正11年(1922)2月の雪崩事故など、幾多の災害を乗り越えて築かれた不屈の歴史は、今も私たちの胸を打ちます。この地に刻まれた旅人たちの記憶と情熱が、現代の美しい景観とともに、これからも未来の世代へと末永く語り継がれていくことが心から願われます。
(2026年5月執筆)

歴史ロマン溢れるトンネルがあなたを迎えてくれるはずです。
PHOTO:PIXTA
日本アルプスの山岳美を広く世界に紹介したウォルターウェストン氏。当地はゆかりの地の一つです。
永久保存版としてお手元に確保されてはいかがでしょうか?







