記事原田拱橋のイメージ画像

原田拱橋

  • 建物・施設

三宮延伸をめぐる、鉄道と都市の攻防

大正9年(1920年)7月16日、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の神戸本線が梅田〜神戸間で開業した際、神戸側の仮終着駅は都心部から離れた場所に置かれていました。三宮への直通延伸を目指す阪急に対し、神戸市は高架鉄道による市街地の南北分断を懸念し、地下路線での乗り入れを求めます。昭和9年(1934年)には競合の阪神電気鉄道が先に地下化で三宮進出を果たし、阪急は都心進出で後れを取りました。阪急は既存道路を遮らない美しいコンクリートアーチ橋を主要道路との交差部に架ける妥協案を提示して神戸市を説得し、昭和11年(1936年)4月1日、西灘駅(現・王子公園駅)から神戸駅(現・神戸三宮駅)に至る全長3.3キロメートルの高架線が完成しました。


阿部美樹志が磨いた、コンクリートの技術

設計を担ったのは、日本における最初期の鉄筋コンクリート技術の権威・阿部美樹志です。明治38年(1905年)に札幌農学校を卒業して鉄道院に入り、アメリカ・イリノイ大学でコンクリート工学の権威アーサー・タルボット教授に師事しました。大正3年(1914年)の帰国後は東京駅〜万世橋駅間の日本初の本格的な鉄筋コンクリート鉄道高架橋の設計に携わります。大正9年(1920年)に鉄道院を辞して独立した阿部は、東白楽〜神奈川間の高架橋設計を通じて阪急電鉄の小林一三と出会い、以後、梅田駅から十三駅間の高架複々線、梅田阪急ビル、阪急西宮球場など、阪急の主要インフラを一手に設計していきました。


ねじれたアーチが生む、独自の造形美

王子公園駅の西側に架かる原田拱橋は、全長65.5メートル、中央スパン32.5メートルの鉄筋コンクリート製アーチ橋です。下部の道路(山手幹線)に対して軌道が斜めに交差するため、アーチが視覚的に「ねじれて」見える珍しい造形となっています。高架最上部には西洋の城の胸壁を思わせる透かし彫り風の装飾が施されました。また、高架線の標準的な区間には柱と梁を一体化した「ラーメン構造」が採用され、これによって高架下の空間も有効に活用されました。周辺にはより複雑な連続アーチを持つ灘拱橋や、単一アーチの灘駅前拱橋も残り、それぞれが独自の意匠を今に伝えています。


震災を越えて、今も残る技術遺産

平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災では、多くの新しい構造物が被害を受ける中、竣工から約60年を経たこの高架橋は倒壊を免れ、大正・昭和初期のコンクリート施工の信頼性を証明しました。竣工から84年を経た令和2年(2020年)には、その造形美と歴史的な強靭さが評価され、土木学会の選奨土木遺産に認定されています。都市美観を最優先した阪急の姿勢と、阿部美樹志のコンクリート哲学が結実したこの高架橋は、今も神戸の街に静かに架かり続けています。

(2026年8月執筆)

PHOTO:写真AC

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す