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大久野島

  • 建物・施設

地図から消された島 ― 大久野島、毒ガス製造の記録

広島県竹原市忠海町の沖合に浮かぶ大久野島は、日露戦争を前にした1902年(明治35年)、外国艦隊の侵入を防ぐための要塞地帯として整備され、北部砲台をはじめとする砲台が築かれました。1927年(昭和2年)、それまで数世帯の農家が暮らしていた島は旧陸軍の管理地として接収され、1929年(昭和4年)には「東京第二陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所」の名で毒ガス工場が稼働を開始しました。国際法で禁じられていた化学兵器の秘密製造を隠すため、島は公式地図から消され、その存在自体が伏せられていました。以後1945年(昭和20年)の終戦まで16年間、イペリットやルイサイトなどの化学兵器の生産が続けられました。


過酷な労働と、実験動物として持ち込まれたウサギ

工場では十分な防護装備がないまま作業が行われ、工員たちは漏れ出たガスにより呼吸器を損傷しました。1944年(昭和19年)以降、地元の女学生も動員され、風船爆弾のこんにゃく糊付けなどの作業にあたりました。完成した毒ガスの効力を調べるため、200匹にのぼるウサギが実験動物として飼育されていましたが、これらは終戦とともにすべて殺処分されており、現在島内にいる野生のウサギとは血縁上のつながりがありません。現在のウサギたちは、1970年代以降に人為的に島外から持ち込まれ、野生化したものと言われています。


秘匿された歴史から、資料館の開館へ

終戦後、毒ガスの後処理が行われ、一部は土佐沖に海洋投棄されるなどの対応がとられました。朝鮮戦争の時期には米軍が弾薬置き場として島を使用し、その後、休暇村として開発され保養地となりました。長らく秘密とされていた化学戦の実態が広く報じられたのは1984年(昭和59年)のことで、1988年(昭和63年)には竹原市により大久野島毒ガス資料館が開館し、工員手帳や当時の作業服などが保存・展示されています。SNSに投稿された動画をきっかけに、大久野島は「うさぎの島」として世界的に知られるようになりました。

遺構が伝える、加害と記憶

島内には長浦貯蔵庫跡や火力発電所跡といった当時の遺構が今も残っています。島内には慰霊碑が建てられ、亡くなった元工員たちの永眠が祈られています。動員された若い工員たちや、生涯にわたり後遺症に苦しみながら加害の事実を証言し続けた元工員たちの記録が、今も語り継がれています。

(2026年8月執筆)

負の歴史を未来に伝えつづける貴重な戦争遺跡です。

PHOTO:PIXTA

ウサギ好きの方には必見の作品のようです。

ウサギ島日和

是非一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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