Final 2003年3月31日 記事吉川町立源小学校 閉校のイメージ画像 History 130年

吉川町立源小学校 閉校

  • 文化・教育施設

新潟県上越市吉川区山直海にかつて存在した吉川町立源小学校は、長きにわたり地域にとって学習と交流の中心であり続けました。その起源は古く、1873年に専徳寺にて私塾として創立されたことに遡ります。翌1874年には「第六大学区第四十学区第二十六番小学山直海校」と改称され、1902年には町村合併に伴い源村立の学校となりました。その後、1905年には高等科を併置し、1908年に源村立源尋常高等小学校と名を改め、地域の中核教育機関として発展しました。1947年には源村立源小学校となり、源中学校を併設しましたが、中学校は1949年に独立しています。

1955年、吉川村、源村、旭村の一部が合併して吉川町が誕生したことにより、本校は吉川町立源小学校となりました。学校は地域の教育体制の変化に積極的に対応し、1989年には水源分校や川谷小学校を統合するなど、その歴史の中で幾度も地域の学校再編の要を担ってきました。しかし、全国的な少子化の流れを受け、本校は2003年に閉校を迎えました。これは、旧吉川小学校(二代目)、旭小学校との統合によるもので、吉川町域の小学校が一つに集約される「1町1小学校体制」への移行の一環として行われました。

閉校後も、その学び舎の敷地は地域社会の活動拠点として位置づけられています。現在、体育館は源地域生涯学習センターとして利用され、住民の生涯学習や交流の場として継承されています。一方、校舎と敷地は、耐震性がなく消防設備の修繕が必要な状況にあり、2025年には上越市による民間事業者への利活用に関する市場調査の対象となり、地域と協議しながら、持続可能な再利用方法が模索されています。

吉川区の学校では、地域の伝統行事や文化財、特産品を調査し、「地域のお宝自慢集」を作成する活動が行われており、児童たちは地域の人々との関わりを通して郷土への愛着を育んでいます。また、当校のあった山直海地区からは、縄文時代早期から古墳時代前期にわたる長峰遺跡の考古資料が出土しており、子どもたちが学んだこの地は、古代からの深い歴史的背景を持っていたと言えるでしょう。長きにわたり地域に寄り添い、多くの学びを育んできた源小学校の運営主体である上越市に深く敬意を表します。この学び舎での日々が、卒業生や教職員をはじめとする全ての関係者の皆様にとって、未来を照らす大切な思い出であり続けることが願われます。

(2025年11月執筆)

長年に渡り、地域の子供達をお守り頂きありがとうございます。

 

確かにここに学び舎が存在した。その証です。

PHOTO: 廃校5000  様

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