Final 2009年3月31日 記事十日町市立清津峡小学校 閉校のイメージ画像

十日町市立清津峡小学校 閉校

  • 文化・教育施設

新潟県十日町市角間未1528-2に位置していた十日町市立清津峡小学校は、地方の教育拠点の歴史と、現代における革新的な文化再生を体現する施設です。

その起源は古く、近代教育制度が確立された直後の1875年に新潟県第六中学区第七番小学馬場校第二付属角間校として開校したのが前身です。これは、山間部の遠隔地に住む子どもたちにも教育機会を提供しようとする、当時の地方社会の強い意志を示すものです。その後、学校は行政の再編を経て、1954年4月には山間地域の教育拠点の統合決定に基づき、十日町市立清津峡小学校として正式に発足しました。さらに1960年には、中里村立高道山小学校角間分校と中里村立倉俣小学校小出分校が統合し、中里村立清津峡小学校として運営されるようになりました。

教育活動の物理的な基盤として、1957年に主要な木造校舎が完成し、長きにわたり地域教育を支えました。また、1994年には、雪の結晶を意識した六角形を特徴とする近代的な校舎に改築されています。当校は、その隔絶された地理的位置から、単なる教育機関としてだけでなく、地域コミュニティの文化的な中核としての役割を担っていました。学校は住民の集会や地域行事の中心地となり、地域のアイデンティティ維持に欠かせない重要なインフラでした。また、清津峡の雄大な自然環境に近接していたことから、学生たちはこの地の豊かな自然を活かした地域密着型の教育を受けていました。

しかし、地方における過疎化という社会経済的な圧力と、教育の質と効率性を確保するための行政的な合理化が進む中で、学校はその歴史に幕を下ろすことになります。同校は2009年3月31日をもって学校としての運営を正式に終了し、閉校となりました。

現在、かつての学校施設の一部であった体育館は、大規模なリノベーションを経て保存され、「磯辺行久記念 越後妻有清津倉庫美術館」として新たな時を刻んでいます。2015年に開館したこの施設は、単なる思い出の保存場所にとどまりません。都市部のアーティストが抱える大型作品の保管場所不足という課題と、過疎地域の廃校活用という課題を同時に解決する「倉庫美術館(Soko Museum)」という革新的なコンセプトのもと運営されています。この歴史ある学び舎を現代に蘇らせ、文化資産として活用されている十日町市行政をはじめとする運営主の皆様に、心からの敬意を表します。清津峡小学校が、この地で青春を過ごした全ての卒業生、教職員、そして地域住民の皆様にとって、いつまでも温かい思い出を呼び起こす場所であり続けることを願ってやみません。

(2025年11月執筆)

 

懐かしい記憶が蘇るという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

長年に渡り、地域の子供達をお守り頂きありがとうございます。

PHOTO: 廃校5000  様

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