函嶺洞門
- 建物・施設
箱根の険路を見守り続けた近代土木の夜明け
大正12年(1923)の関東大震災は箱根の山々を揺るがし、湯本周辺の断崖を崩壊させました。その後も落石事故が相次いだため、神奈川県は昭和6年(1931)に頑強な防護施設として「函嶺洞門」を完成させました。昭和5年(1930)11月に着工されたこの洞門は、全長100.9メートル、全幅6.3メートルの規模を誇り、鉄道のスノーシェッドに着想を得た「開腹隧道」という独特の構造を採用しています。国際観光地を意識して王宮をイメージした華やかなデザインが施され、地元の譲原組の施工により、北伊豆地震の被害を乗り越えて築かれた箱根の伝統的な玄関口です。
歴史の交差点と駅伝の聖地として刻まれた記憶
この地は中世の旅人が行き交った湯坂道の入り口にあたり、近隣の旭橋や千歳橋とともに世界各地の美が融合した景観を構成しています。また、箱根駅伝の5区「山登り」の象徴として長く愛され、歴代の「山の神」が駆け抜けた聖地でもありました。狭い洞門を大型バスが行き交う喧騒の傍らには、震災の犠牲者を弔うお地蔵様が静かに佇み、人々の生活と記憶に深く寄り添い続けました。
時代の波による引退と重要文化財への歩み
道幅の狭さや土砂崩落の危険からバイパスが建設され、函嶺洞門は平成26年(2014)2月7日に道路としての役割を終えました。平成17年(2005)に土木学会選奨土木遺産となり、平成27年(2015)7月8日には国の重要文化財に指定されています。令和2年(2020)5月に落書き被害に遭う試練もありましたが、令和6年(2024)1月には駅伝100回を記念して10年ぶりの一般公開が行われるなど、今も大切にメンテナンスされています。
喧騒を離れ未来へ語り継がれる箱根の魂
現在はかつての車のエンジン音も消え去り、金網の奥で早川のせせらぎだけが静かに響いています。震災からの復興と日本の近代化、そして駅伝の熱狂をその身に包み込んできた見事な建築美が、これからも変わらぬ姿で後世へと受け継がれていくことが心から願われます。
(2026年5月執筆)

箱根の地にも歴史ロマン溢れる史跡があります。
PHOTO:PIXTA







