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清水谷戸トンネル

  • 建物・施設

東海道の夜明けと、ひと筋のトンネル

1872年、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通した後、東京と京都を結ぶ幹線ルートは中山道案と東海道案の間で長らく揺れ動いていました。転機となったのは1886年(明治19年)、鉄道局長官・井上勝がルートを東海道へと転換した決断です。全国鉄道網の建設が本格的に始まる中、その最初の難関として選ばれたのが、横浜と戸塚の間に広がる丘陵地帯、境木の地を貫く清水谷戸トンネルの掘削でした。設計は工務部鉄道局が担い、施工には杉井定吉率いる杉井組が当たります。鉱山から坑夫が集められ、硬い岩盤を穿つ過酷な工事の末、1887年(明治20年)7月、上り線側のトンネルが開通しました。これが、今なお現役で列車を通す国内最古の鉄道トンネルの誕生です。1898年(明治31年)8月には輸送量の増加に応えて下り線側のトンネルも竣工し、双方向の運行が実現しました。


トンネルの先に息づく宿場町の記憶

トンネルを抜けた先には、1604年(慶長9年)に成立した東海道の宿場町・戸塚宿が広がっていました。澤邊本陣跡や清源院が並ぶ通りには旅人の話し声が絶えず、柏尾川に架かる吉田大橋は歌川広重の浮世絵にも描かれるほどの評判を呼びます。夏には八坂神社の「お札まき」が、南谷戸には大正初期(1910年代)に始まった「大わらじ」の風習が今も受け継がれ、地域の人々の暮らしと祈りをトンネルはひっそりと見守り続けてきました。


百三十年を超えて、今も守られる坑道

建設から130年以上が経つ今も、管理者であるJR東日本の技術者たちが日々の点検と修繕を続けています。1925年(大正14年)の改修では上り線・下り線両方のトンネルの側壁部が煉瓦造りからコンクリート製へと改築され、現在では最高時速8.5キロメートルで走行し微細なひび割れを検知する「トンネル覆工表面撮影車」や、電磁波レーダーで内部を透視する「トンネル覆工内部検査車」といった最新技術が導入されています。こうした地道な維持管理の積み重ねが、明治の構造物を今日まで走らせ続けている理由です。


先人の技と、それを継ぐ手への敬意

硬い岩盤に挑んだ杉井組の坑夫たち、緻密な設計を残した技術者たち、そして今日まで煉瓦の目地を守り続ける保守の担い手たち。その積み重ねが評価され、清水谷戸トンネルは2022年(令和4年度)に土木学会の選奨土木遺産に認定されました。日本最古の現役鉄道トンネルは、これからも多くの列車を静かに送り出しながら、先人たちの労苦と技術への敬意を未来へ語り継いでいくことでしょう。

(2026年7月執筆)

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