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旧第十師団兵器庫

  • 文化・教育施設

城の東に、軍の倉庫が建つ

日清戦争が終わった1896年(明治29年)、姫路に陸軍第十師団が置かれました。これを機に、城郭の周辺は一大軍事拠点として形を変えていきます。明治30年代に入ると姫路城の東側に姫路陸軍兵器支廠が設けられ、広い敷地に軍用倉庫が次々と建てられました。その一つが、1905年(明治38年)頃に建てられた西倉庫です。のちに第十師団兵器部の施設となります。1913年(大正2年)には被服倉庫が増築され、西館と北館が直角に組み合わさるL字型の配置になりました。設計にあたったのは陸軍省技官の宮本平治氏と井田熊吉氏で、これは北館の棟札の記録から確かめられています。煉瓦造2階建て、瓦葺きの切妻屋根で、建築面積は2923平方m。1910年(明治43年)に刊行された『姫路城修繕記念写真帖』には、天守修繕の足場から撮られた写真に西館の屋根が写り込んでいます。

 

壁の刻印と、屋根裏の鉄の鉤

この建物は細部に多くの情報を残しています。梁間は8間、約14.5mで、中央の2間分を通路とする陸軍共通の規格でした。屋根の架構には木造のクインポストトラスが組まれ、天井裏には3階に相当する空間が確保されています。西館の屋根裏中央には台形の床張り廊下が貫通し、その横木には23cm間隔で長さ13cmの鉤型の鉄棒が打ち付けられています。軍馬の鞍や牽引具を吊るしたものとする説があります。外壁を見れば、地表から約1mの高さに丸印と3本の直線が交差する刻印があり、これは1888年(明治21年)創業の大阪窯業製であることを示します。バツ印の刻印も見つかっており、岸和田煉瓦の製品も併用されていました。カタカナの「ク」に似た刻印は、職人が押した検印と考えられています。刻印は通常、積むと隠れる面に捺されますが、この建物では側面に捺されたものがあり、今も壁から見えるのです。

 

市役所だった33年

戦後、この倉庫は行政の中心になりました。1947年(昭和22年)から1980年(昭和55年)までの約33年間、改修のうえ姫路市役所の本庁舎として使われたのです。兵器を納めていた建物に、市民が手続きに訪れるようになりました。市役所が新庁舎へ移ると、保存活用の工事が始まります。1981年(昭和56年)の改修では、北館は外壁の煉瓦を残して内部を新築する一方、西館は明治期の木造小屋組をそのまま保存しました。そして1983年(昭和58年)4月、姫路市立美術館として開館します。この再生手法は評価を受け、1985年(昭和60年)に第1回兵庫県緑の建築賞、1988年(昭和63年)に環境色彩10選公共の色彩賞を受賞しました。2003年(平成15年)1月31日には国の登録有形文化財に登録されています。

 

赤い壁と、白い天守

城東地区に広がっていた軍の施設群は、戦後にその大部分が撤去されました。当時の遺構として残るのは、この建物と、旧師団長官舎である淳心会本部の2棟だけです。同じ標準設計による煉瓦倉庫は全国の師団に建てられ、金沢の旧第九師団倉庫は石川県立歴史博物館として重要文化財となり、善通寺のものは陸上自衛隊の施設、広島のものは広島大学医学資料館として使われています。姫路の建物は、白漆喰の天守を背にした赤煉瓦という取り合わせのなかにあります。芝生の庭には13点の屋外彫刻が置かれ、夜には天守とともに照らし出されます。兵器庫、市役所、美術館と役目を変えてきた壁の刻印を、確かめに訪ねてみてはいかがでしょうか。

(2026年9月執筆)

PHOTO:写真AC

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