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志免鉱業所竪坑櫓

  • 建物・施設

海軍の威信を懸けた「黒いダイヤモンド」の拠点

明治22年(1889年)、海軍が軍艦の燃料確保を目的に須恵村新原に採炭所を開いたことが、志免鉱業所の長い歴史の始まりでした。その後、採掘拠点は志免村へと移り、戦時下の昭和16年(1941年)に新たな竪坑の開鑿が開始されます。そして昭和18年(1943年)5月10日、現在の象徴的な竪坑櫓が竣工しました。設計を担った猪俣昇氏がドイツの最新技術を取り入れたこの櫓は、地上47.6メートルという当時としては驚異的な高層ビルに匹敵する鉄筋コンクリート造です。戦後の昭和24年(1949年)からは日本国有鉄道の管轄となり、蒸気機関車の燃料供給という復興の重責を担い続けました。開坑から閉山まで一貫して国営であり続けた、日本唯一の極めて稀有な炭鉱です。

 

1万人の活気と地底に響く鼓動

最盛期の志免町は、人口の約半分にあたる約1万人が炭鉱に関わって暮らすという、凄まじい熱気に包まれていました。櫓の最上部では1000馬力の巨大モーターが24時間休まず稼働し、ワイヤーが軋む重低音が町の人々の生活音となって響いていました。地底430メートルの過酷な現場で顔を真っ黒にして働く坑員たちは、「自分たちが日本の復興を支えている」という強い誇りを胸に、良質な石炭を掘り出していました。扇風機坑口には海軍の偵察機のプロペラが転用されるなど、軍需施設から始まった場所ならではの記憶も刻まれています。

 

時代の変遷と重要文化財への歩み

エネルギー革命により主役が石油へと移り変わる中、志免鉱業所は昭和39年(1964年)にその役目を終えて閉山しました。長らく沈黙を守っていた巨大な遺構ですが、世界的に見ても希少な「ワインディングタワー型」の構造が評価され、平成21年(2009年)12月8日に国の重要文化財に指定されました。その後、令和3年(2021年)10月には大規模な保存修理工事が完了し、かつての威風堂々とした姿が蘇りました。現在は公園として整備され、かつての炭鉱住宅やボタ山に代わり、穏やかな風景が広がっています。

 

歴史の証人として未来へ繋ぐ記憶

かつて日本の近代化を力強く牽引し、戦後の焼け野原から立ち上がるエネルギーを供給し続けた志免鉱業所竪坑櫓。その足元からは今も、当時の生活を物語る茶碗や道具が発掘され、人々の確かな営みを伝えています。命を懸けて地底に挑んだ先人たちへの深い敬意を忘れることはありません。静かに立ち尽くすこの巨大な櫓は、これからも町のランドマークとして、私たちが歩んできた苦難と栄光の歴史を次世代へと語り継いでいくことでしょう。

(2026年2月執筆)

 

在りし日の営みを感じ取ることのできる場所です。

PHOTO:PIXTA

 

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