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通潤用水 小笹円形分水

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乾いた大地に命の水を導いた歴史と変遷

上益城郡山都町に広がる白糸台地は、深い峡谷に囲まれて水利が極めて悪く、文化9年(1812)の記録では全水田約44ヘクタールのうち良質な上田はわずか0.8ヘクタールにすぎず、農民は干ばつの恐怖と隣り合わせの生活を強いられていました。かつて砥用手永の惣庄屋であった篠原善兵衛らが笹原川からの取水に挑み途中で頓挫した歴史があり、その未完の志を矢部の惣庄屋である布田保之助が引き継ぎました。布田の奔走により安政元年(1854)に日本最大級の石造アーチ水路橋である通潤橋と通潤用水が完成し、台地に命の水が導かれました。

 

激しい水争いと平穏をもたらした村の絆

通潤用水の開通後、水の配分を巡っては通潤土地改良区と笹原土地改良区の間で深刻な水争いが勃発し、長年緊張状態が続いていました。かつては秋季の奉納相撲大会で勝ち残った若者が翌年の水番係という重責を任される風習があり、野尻地区の飯星時春氏も、若い頃に水番に立った経験を持ち、当時の水番は強雨時には昼夜を問わず巡回を行うなど、その過酷な苦労が語り継がれています。長年の対立を根本から解決するため、昭和31年(1956)に現代土木工学の粋を集めた小笹円形分水が築造され、視覚的な公平性がもたらされたことで争いは穏やかに終結しました。

 

厳格な配水システムと国宝指定による現在の歩み

小笹円形分水は外周約10.5メートル、内円筒の直径6.3メートルのコンクリート造りで、中央底の取水口から毎分約1.2トンの水が湧き上がります。水田面積比率に則って「7対3」の割合で厳格に二分され、そのうちの7割が約6キロメートル離れた通潤橋へと送られます。令和5年(2023)秋には通潤橋が国宝に指定され、地域の確固たる誇りとなりました。現在は周辺に駐車場やトイレ、解説パネルなどが整備され、熊本県内の小学校による郷土学習のメッカとして、静かな水辺に子供たちの歓声が響き渡っています。

 

先人の知恵を未来へ繋ぐ敬意と祈り

効率や競争が優先されがちな現代において、目に見える形で水を分け合い対立を収めた円形分水の知恵は、訪れる人々の心を優しく解きほぐします。周辺には明治35年(1902)建立の観音菩薩の石祠や明治12年(1879)の「龍地神」の板碑、昭和24年(1949)の大日如来などが佇み、水への畏敬の念を今に伝えています。激しい水流に耐え抜いてきた笹原川亀堰などの文化財とともに、水を守り抜いた先人たちの尊い足跡が今後も長く顕彰され、豊かな棚田の景観が次世代へと継承されますよう願われます。

(2026年5月執筆)

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