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深良用水隧道

  • 建物・施設

箱根を穿ち荒野を潤した大構想の幕開け

慢性的な干ばつに苦しむ駿東地域の農民の姿を目にしていた深良村の名主・大庭源之丞は、箱根外輪山を越えて芦ノ湖の水を引くという前代未聞の計画を立ち上げました。この熱意に動かされた江戸の商人・友野与右衛門が総工費7,400両に及ぶ莫大な資金を調達し、1666年(寛文6年)夏(7月から8月にかけて)に延べ84万人を動員する大規模な掘削工事が始まりました。そして1670年4月(寛文10年2月)、全長1,280メートルにおよぶ日本最長級の素掘りトンネルが貫通し、およそ2ヶ月後の同年5月頃(寛文10年4月)に悲願の通水に至りました。標高差9.8メートルを一気に下る豊かな水が御殿場市などの広大な地域を潤し、荒れ地を豊かな水田へと生まれ変わらせて事業を請け負った元締たちへ用水の利用料として上穀米を納めるほどの実りをもたらしました。


暗闇に響く不屈の音色と共同体の絆

固い岩盤に挑むため集まった技術者たちは、行燈の灯りを頼りにツルハシを打ち下ろし続けました。両側から手作業で掘り進めた隧道の中間地点には約1メートルの段差があり、水が滝のように流れ落ちる構造となっています。村人たちは命の水をもたらした先人への感謝を込め、水路のほとりに「水仁」の石碑を建てて手厚く祀りました。毎年春には泥上げ作業に総出で集まり、共同体の結束を深めていたといいます。


激動の時代を越えて受け継がれる遺産

水利権をめぐる法廷闘争を経て1898年(明治31年)1月21日の大審院判決で勝訴を収めた後、1922年(大正11年)には深良川第一・第二発電所が完成するなど、時代とともにその役割を変化させてきました。現在では「世界かんがい施設遺産」にも登録されています。源兵衛川などの関連施設とともに、長年にわたる過酷な維持管理を経て近代的な水利組織へと受け継がれ、今も人々の暮らしに安らぎを与えています。


先人への深い敬意と未来への継承

1703年(元禄16年)の元禄大地震や1707年(宝永4年)の富士山大噴火など、度重なる自然災害を不屈の精神で乗り越えてきた歴史があります。私財を投じて激動の運命を辿った大庭源之丞や友野与右衛門らの偉大な功績、そして昼夜を問わず水門を守り続けた先人たちの苦闘に対して、現代に生きる私たちからも深い敬意が捧げられます。この人類の英知の結晶である清らかな水の流れが、次世代へと末永く守り継がれることが心より願われます。

(2026年6月執筆)

 

300年を優に超える歴史の重みが感じられます。

PHOTO:PIXTA

歴史の長いトンネルには興味深いストーリーがあります。

しずおかトンネル物語

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