【奥沢水源地】階段式溢流路
- 建物・施設
港町を襲った、深刻な水不足
明治2年(1869年)に開拓の本陣が置かれた小樽は、港湾都市として急速な発展を遂げましたが、明治20年代後半には人口約3万5千人に対し飲み水は井戸や湧水頼みで、慢性的な水不足に悩まされていました。明治37年(1904年)の水質調査では、1,239箇所の井戸のうち安全に飲めるものはわずか3割程度にとどまり、不衛生な水環境が伝染病の温床となっていました。明治27年(1894年)、イギリス人技師W.K.バルトンを招いて近代水道創設のための調査が始まり、明治40年(1907年)に国の認可を受け、翌年1月4日、奥沢水源地の建設が始まります。建設費は約120万円にのぼり、これは当時の小樽区の年間予算の約2.4倍という国家規模の投資でした。
苦難を越えて完成した、北海道初のダム
工事は氷点下の寒さと深い雪により、屋外作業ができるのは実質半年間のみという過酷な条件のもとで進められました。海が荒れて資材運搬にも困難を伴う中、人夫たちには工賃に加えて多額の成功賞与が支払われるなど、困難な環境下での人員確保が図られました。明治42年(1909年)4月には猛烈な暴風雨で勝納川が氾濫し、建設中の現場が濁流に飲み込まれる被害を受けます。この教訓から水路はより強固な構造へと設計変更され、その後も洪水や斜面崩落といった苦難が続きました。それでも着工から6年9ヶ月を経た大正3年(1914年)9月30日、北海道初となる水道専用ダムを備えた奥沢水源地が完成し、翌年8月には要人を招いた盛大な通水式が執り行われました。建設を指揮したのは「近代水道の父」と呼ばれる中島鋭治工学博士で、氷点下に達する小樽特有の風土に合わせて技術を巧みに応用しました。
水すだれが生まれる、階段の秘密
奥沢ダムは高さ28.15メートル、長さ234.5メートルの「アースダム」形式で、地中深く粘土を突き固めた心壁が水漏れを防いでいます。中でも「階段式溢流路」は総工費の約7パーセントにあたる約8万4千円を投じて造られた施設で、約100メートルの距離を21メートル落差で流れ下る水の勢いを、10段の「水ため階段」でやわらげる仕組みです。切り石の継ぎ目には溶かした鉛を流し込んで固定し、階段の端には長短の石を交互に並べた「デンティル」装飾が施され、これが幾重にも連なる白い「水すだれ」の景観を生み出しています。溢流路は緩やかにカーブを描いて設計され、水管橋から見上げても最深部が見えないよう、視覚的な奥行きも演出されました。
森に響く水音と、今も残る風景
深い森に響く水音は「音水景」とも呼ばれ、夏の緑と水しぶき、秋の紅葉が織りなす風景は、地元の子どもたちにとって天然のプールでもありました。昭和には市民が訪れる炊事遠足の場となり、貯水池に架かる赤いアーチ橋は「夫婦橋」と呼ばれ親しまれてきました。昭和60年(1985年)に「近代水道百選」に選ばれ、平成20年(2008年)には土木学会の選奨土木遺産にも認定されています。しかし平成23年(2011年)、ダム堤体の陥没が見つかり、約100年にわたる水源地としての役目を終えることになりました。ダム湖の水は抜かれましたが、階段式溢流路だけは当時の優美な姿のまま残され、今も変わらぬ水音を森の中に響かせ続けています。
(2026年7月執筆)
PHOTO:写真AC







