大原隧道
- 建物・施設
震災復興が生んだ、地下の道
大正12年(1923年)の関東大震災は、横浜の近代水道施設に壊滅的な被害をもたらしました。復興事業が進む中、昭和2年(1927年)には横浜市が周辺の町村を大合併し、これまで水道整備が遅れていた蒔田・大岡・磯子など南部エリアへの送水強化が急務となります。この課題に応えるため、南区の丘陵地を貫く形で大原隧道の建設が急遽計画されました。路面の上には、水道局の職員が点検や保守を行うための、細く薄暗い「管理用通路」のみが設けられました。当初は関係者以外立ち入り禁止の閉ざされたトンネルでしたが、この二層構造が、のちに住民の生活を守る貴重な近道へと生まれ変わる礎となったのです。
一本のトンネルに、水の道と人の道を通す
昭和2年(1927年)6月に着工した大原隧道は、延長254.5メートル、高さ3.62メートル、幅わずか2.44メートルという細い馬蹄形の構造で、昭和3年(1928年)7月に竣工しました。路面の下には完全に埋設された配水本管(蒔田磯子配給幹線)が通され、地上部分は前述の通り関係者以外の通行が制限された水道管理用の通路として使われていました。地下に水道インフラを、地上には最小限の通路を、という二層構造を一本のトンネルに凝縮した点が、大原隧道の大きな特徴です。
今も現役で、街を支え続ける
長い年月を経た現在、大原隧道の地上部は歩行者・自転車専用の生活道路として一般開放され、周辺住民の貴重な近道として利用されています。路面下に埋設された配水本管は、昭和3年の完成から今日に至るまで、横浜市南部への給水を支える現役の主要施設として機能し続けています。なお約600メートル北には、車両や路線バスが行き交う兄弟トンネル「東隧道」も設けられました。こちらは幅5.7メートルと車が通れるサイズですが、今なお大型車同士のすれ違いが不可能なほどに狭く、避難所が5カ所設けられた緊張感のある道路として、大原隧道とはまた異なる現役の役割を果たしています。
先人の知恵が、今に息づく道
関東大震災という危機からの復興の中、限られた用地に水道と生活道を共存させた大原隧道は、横浜の近代化を支えた先人たちの知恵の結晶です。地下では変わらず街の暮らしを支えながら、地上では今日も歩く人々を静かに見守り続けています。
(2026年8月執筆)

独特の雰囲気は多くの人々を魅了します。
PHOTO:写真AC
横浜を中心にロケが行われた人気ドラマ「私立探偵 濱マイク」。
当地も登場するそうです。







