名鉄百貨店本店 閉店
- 商業施設
戦後復興の旗手として誕生したターミナルデパートの志
第二次世界大戦後の混乱から立ち上がる名古屋の街で、名鉄名古屋駅の直上に巨大な駅ビルを建設する壮大な構想が持ち上がりました。当初は老舗の松坂屋へ出店を打診したものの交渉は決裂し、名古屋鉄道は自社グループ単独で百貨店経営に乗り出すという数奇な運命を歩むことになります。関西の阪急百貨店から運営ノウハウの支援を受け、昭和29年(1954)12月1日、東海地方初となるターミナルデパート「名鉄百貨店本店」が産声を上げました。当初は地上3階・地下1階という限られたスペースでの出発でしたが、昭和32年(1957)7月にビルが全館完成。地下に駅コンコースを抱え、足元から列車の轟音が響くという、鉄道会社直営ならではの特異な構造と共に、名古屋の新しい顔として華々しく幕を開けたのです。
街の象徴「ナナちゃん」と文化を彩った名鉄ホールの記憶
名鉄百貨店は、単なる商業施設を超えて地域文化の殿堂としての役割も果たしてきました。昭和32年(1957)に開場した「名鉄ホール」では、こけら落としに宝塚歌劇団が招かれ、華麗な舞が人々の喝采を浴びました。また、昭和48年(1973)には、身長6メートルを超える巨大マネキン「ナナちゃん」がエントランスに降臨。以来、季節ごとの装いで道行く人を楽しませ、名古屋駅前の待ち合わせ場所として世代を超えて愛される象徴となりました。市民からは「名古屋らしくて温かい」と親しまれ、時には「保守的で野暮ったい」と愛を込めて揶揄されながらも、名鉄、松坂屋、三越、丸栄が競い合った「4M時代」の熱気の中で、常に市民の暮らしの真ん中に寄り添い続けてきました。
激動の「4M1T」時代と令和に下された苦渋の決断
平成12年(2000)3月、至近距離に「ジェイアール名古屋タカシマヤ」が開業したことで、長年の協調関係は激しい生存競争へと変貌しました。売上の急減に直面した名鉄百貨店は、伊勢丹との提携や「メンズ館」への業態転換、「名鉄商店」の開設など、懸命に時代への適応を模索しました。しかし、建物の老朽化や複雑な構造、さらには資材高騰による再開発計画の着工延期という逆風が吹き荒れます。こうした状況下で、ついに令和7年(2025)3月、本店(本館およびメンズ館)の営業を令和8年(2026)2月28日をもって終了することが正式に発表されました。70年余り続いた歴史に、一つの句読点が打たれる瞬間が刻一刻と近づいています。
幕を下ろす商いの灯火と未来へ繋ぐナナちゃんの眼差し
営業終了を控えた館内では、かつての名鉄ホールの備品などを展示する歴史展が開催され、訪れる人々は惜しみないノスタルジーに浸っています。令和8年(2026)2月末日をもって実店舗としての暖簾は下ろされますが、外商や建装といった事業の精神はグループ会社へと引き継がれ、その命脈を保ち続けます。そして、百貨店の看板が消えた後も、広報部員の肩書きを持つ「ナナちゃん」は変わらずその場所に立ち続ける予定です。解体と再生を待つ名古屋駅前の景色の中で、彼女はこれからも新しい時代の足音を聞きながら、私たちが紡いできた商いの記憶を未来へと見守り続けてくれるに違いありません。
(2026年2月執筆)
PHOTO:PIXTA







