中山隧道
- 建物・施設
豪雪の山村が求めた、命をつなぐ道
新潟県長岡市山古志東竹沢、かつての小松倉集落は、四方を険しい山に囲まれ、美しい棚田が広がる静かな山村でした。冬になると積雪は4メートルにも達し、度重なる雪崩が村人の命を脅かす豪雪地帯です。生活に欠かせない小出町(現・魚沼市)へ抜けるには、隣村との境にある険しい中山峠を越える4キロメートル以上の未整備の山道を歩くほかなく、猛吹雪による遭難や、急病人が出ても医者に診せられない状況が、人々を悩ませ続けていました。1932年(昭和7年)、「孫子の未来のために」との声が上がり、峠に隧道を掘る構想が持ち上がります。行政の支援を得られなかった住民たちは、集落総会で賛成41世帯・反対22世帯という激しい議論の末、自らの手で岩山を掘り抜くことを決意しました。
闇を照らすカンテラと、女たちの峠越え
1933年(昭和8年)11月12日、地元で「山の神の命日」と伝わる日に、静かに鍬立式(起工式)が執り行われました。掘削には、棚田の横井戸掘りで培われた伝統の手掘り技術と、狭い坑内でも扱える特製の片刃のツルハシが用いられました。頼りはカンテラの微かな灯りのみで、傘の先を壁にあてて間隔を確かめながら進む手探りの作業が続きました。すり減った刃を研ぎ直すため、集落の女性たちが雪の中山峠を越えて鍛冶屋まで運ぶという重労働も担っていました。
16年の歳月を経て迎えた貫通、そして保存へ
1943年(昭和18年)、戦争の激化により掘削は一時中断を余儀なくされましたが、1947年(昭和22年)、松崎村長の陳情により補助金が下り、工事は再開されました。1949年(昭和24年)5月1日の夜、16年の歳月をかけてついに貫通し、全長922メートル、高さ6尺・幅4尺の馬蹄形トンネルが完成しました。以来約半世紀にわたり地域の生活を支え続けましたが、1998年(平成10年)に新しい中山トンネルが開通すると、その役目を終えました。2006年(平成18年)には土木学会選奨土木遺産に認定され、現在は水沢新田側の崩壊により全長877メートルとなり、山古志側入口から約70メートルのみが公開されています。
岩肌に刻まれた跡に、敬意を込めて
言葉も刃もすり減らしながら、16年もの歳月を人力だけで掘り抜いた小松倉の人々の労苦には、深い敬意を抱かずにはいられません。側壁に今も刻まれたツルハシの跡は、名もなき人々の不屈の意志を静かに物語っています。この記憶が、これからも山古志の地に生きる人々の誇りとして、次の世代へと語り継がれていくことが願われます。
(2026年7月執筆)
PHOTO:PIXTA







