記事大間港のイメージ画像

大間港

  • 建物・施設

鉱山近代化とともに築かれた、玄関の港

明治18年(1885年)、岩手県出身の鉱山技術者・大島高任が佐渡鉱山局長として赴任し、港の新規建設を指揮しました。明治20年(1887年)には、大島に招かれて赴任した技術者・渡辺渡の設計・設置により、高任選鉱場から港までを結ぶ日本最初の空中索道が稼働し、蒸気機関の煙を吐きながら鉱石を運搬する光景が相川の山々に広がります。こうした近代化の流れの中、明治25年(1892年)、物資や燃料の搬入と製品の搬出を担う港として大間港が完成しました。明治41年(1908年)には港へ陸揚げされる石炭を燃料とする北沢火力発電所が竣工し、鉱山設備の電化を後押ししています。


長七たたきが支えた、港の礎

大間港の建設には、コンクリートが日本に普及する前の工法として、消石灰・砂・粘土を練り上げる「長七たたき(人造石工法)」が服部長七の設計指導のもと採用されました。この頃、佐渡鉱山には西洋技術を学んだ技術者たちが次々と赴任していました。明治10年(1877年)にはドイツ人技術者アドルフ・レーの指導で西洋式垂直坑道「大立竪坑」が完成し、明治元年(1868年)にはイギリス人技術者エラスムス・ガワーが火薬を用いた発破採掘法を伝えます。明治20年(1887年)に赴任した工学技師・渡辺渡は、明治24年(1891年)に間ノ山地区にカリフォルニア式搗鉱機を備えた搗鉱場を建設しました。こうした技術の集積の中で、大間港の護岸もまた、当時最先端の土木技術によって築かれていったのです。


今に残る、明治の土木技術

大間港には、人造石護岸や台座、鉄筋コンクリート橋脚、そして昭和初期に設置されたホッパー用の鋼トラス橋など、当時の土木技術を伝える構造物が今も残されています。これらは「現存する重要な土木構造物2800選」のAランクに位置づけられ、平成27年(2015年)には土木学会の選奨土木遺産に認定されました。日本海の波が打ち寄せる護岸は、100年以上を経てもなお崩れぬ強固さを保ち続けています。


国史跡として、未来へ受け継ぐ

平成27年(2015年)10月6日、大間港のある「大間地区」は、西三川砂金山跡や戸地地区とともに、国史跡「佐渡金銀山遺跡」へと追加指定されました。同日には相川地区が国の重要文化的景観にも選定されています。物資と技術者たちが行き交ったこの港は、佐渡鉱山の近代化を支えた玄関口として、今もその姿を静かに残しています。

(2026年8月執筆)

はるか昔から現在に至るまで当地の営みを見守り続けてくれています。

PHOTO:写真AC

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す