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愛岐トンネル群

  • 建物・施設

巨万の赤レンガが築いた近代化の架け橋

明治29年(1896)、名古屋と多治見を結ぶ鉄道網の要として、険しい庄内川の渓谷を切り拓く壮大な工事が始まりました。木々が密に茂り人を寄せ付けない難所でしたが、明治33年(1900)に完成したこの「愛岐トンネル群」には、東京駅の倍以上となる約1800万個もの赤レンガが使用されました。当時、国内屈指の規模を誇ったこの鉄路は、東濃地方の豊かな木材やノリタケの洋食器などに代表されるジャパンチャイナの原料となる良質な陶土を運ぶ大動脈として、中部地方の産業発展を力強く支え続けました。蒸気機関車が吐き出す黒煙と力強い汽笛は、まさに日本の躍進を象徴する風景だったのです。


土の下に眠る先人たちの知恵と祈り

華やかな開通の裏には、過酷な難工事の記憶が刻まれています。明治30年(1897)には崩落事故により作業員が犠牲になる悲劇もあり、地中深くには崩落を防ぐために「インバート」と呼ばれる逆アーチ型のレンガ構造が築かれました。平成29年(2017)の発掘調査でその姿が再び確認されるまで、先人たちの類まれなる技術と汗は、冷たい土の下でひっそりと、しかし確実にこの道を支え続けてきたのです。


眠れる森の遺産から市民が愛する名所へ

昭和41年(1966)に複線電化に伴い廃線となり、一度は深い眠りにつきましたが、平成18年(2006)の再発見を機に有志による再生が進められました。平成28年(2016)には国の登録有形文化財に登録され、現在は春と秋の特別公開時に美しい紅葉と共に多くの人々で賑わいます。近年ではトンネル内でのコンサートやビアホールも開催され、歴史遺産は新たな文化の発信地として息を吹き返しています。


時代を超えて未来へ繋ぐ情熱の軌跡

平成26年(2014)には一万人を超える有志の寄付により廃線敷の買い取りが実現するなど、この場所は地域の人々の情熱によって守られています。令和4年(2022)以降もさらなる遊歩道の整備構想が進んでおり、明治の職人たちが築いた赤レンガの輝きは、時を超えて次世代へと語り継がれていくことでしょう。静寂と光が交差するこの空間は、私たちが未来へ手渡すべき誇り高き生きた歴史そのものなのです。

(2026年3月執筆)

 

在りし日の営みを今に伝える場所です。

 

旧国鉄開通当時の姿が残されている愛岐トンネル群。足を運びたい場所です。

PHOTO:PIXTA

 

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