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惣郷川橋梁

  • 建物・施設

日本海の難所に挑んだ近代化のモニュメント

1923年(大正12年)、島根県の益田駅から山口県の萩駅を結ぶ萩線(後の山陰本線)の敷設計画が本格化し、日本海に面した厳しい自然環境に囲まれた須佐駅から宇田郷駅の区間に惣郷川橋梁の建設が決定しました。当初の計画より約80メートル下流の波打ち際へと線路位置が変更されたため、過酷な海風による塩害対策が急務となりました。複数案の中から、防錆効果と経済性に優れた鉄筋コンクリート(RC)ラーメン橋が採用され、1931年(昭和6年)5月に着工しました。暴風雨による仮設工破壊などの試練を乗り越え、総工費95,530円を投じて1932年(昭和7年)8月に完成しました。翌1933年(昭和8年)2月24日の開通により、山陰本線の京都駅から幡生駅までの全線が繋がりました。

 

小さな手が紡いだ橋梁建設の感動的な記憶

鉄路の開通は地元住民の悲願であり、過酷な冬の烈風が吹き荒れる現場では、福岡県を発祥とする間組が施工を担い、若き土木技師の市川順市が現場指揮にあたりました。建設当時、鉄筋コンクリート製の橋脚下部は非常に狭く、大人の労働者では生コンクリートを突き固める作業が困難を極めました。そこで特別に招集された阿武町の子どもたちが大人から指導を受け、寒さに震えながらも小さな手で一生懸命かつ楽しそうに生コンクリートを突き固める作業を手伝いました。自らの手で村の橋を完成させた子どもたちは、後年になっても「ぼくらも、あの橋を造るのを手伝ったんよ」と胸を張り、完成した橋を誇らしげに見上げていたという温かいエピソードが今も語り継がれています。

 

時代を越えて輝く造形美と入念な維持管理の歩み

半径600メートルの滑らかな曲線を描く総延長189.14メートルの橋梁は、小野田セメントや八幡製鐵所の高品質な資材を使い、当時の標準の約2倍という念入りなコンクリート被り厚を確保して建設されました。建設から30年が経過した1962年(昭和37年)の調査以降、1965年(昭和40年)のモルタル吹付け工や1969年(昭和44年)の橋脚根固め補強など、定期的な手当てが施されてきました。1989年(平成元年)の詳細な劣化調査を経てエポキシ樹脂コーティングなどの補修が行われ、良好な状態を維持しています。その高い技術力と景観美が評価され、2001年(平成13年)には土木学会の選奨土木遺産に認定されました。

 

郷愁の音風景と未来へ語り継がれる美しき鉄路

日本海の荒波が砕けるダイナミックな波音と、列車が刻むリズミカルな走行音が重なり合う惣郷川橋梁は、この場所でしか味わえない独特の音風景を創り出しています。夕日に映える1両編成のワンマン列車のシルエットは、全国の鉄道ファンを魅了する高名な撮影スポットとなっています。厳しい自然環境に耐え抜き、地域の発展を支え続けてきたこの美しいRCラーメン高架橋が、JR西日本をはじめとする関係者様のたゆまぬ保守管理のもとで今後も末永くその姿を留め、未来の世代へと誇り高く受け継がれていくことが心より願われます。

(2026年7月執筆)

PHOTO:写真AC

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